日本人が低価格の商品だけしか買わなくなったので、あとから低賃金というしっぺ返しがやってきた。低価格を実現するためには最大のコストである人件費を削らなければならないのだから、人々が低価格に群がれば群がるほど、仕事はどんどん低賃金にシフトしていくのは当然だった。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
中国の低品質なものは日本の貧困層が購入する光景
書籍『病み、闇。: ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者』では、トー横キッズを含む「病み界隈」の話を書いたのだが、彼女たちには「病み系」と呼ばれるファッションに身を包んでいた。
黒を基調としたゴスロリ的なファッションなのだが、そのような服やアクセサリーをいったいどこで手に入れているのか聞いてみると、「SHEIN(シーイン)」だとか「夢展望」のようなECサイトだった。
私はそのどちらも彼女たちから話を聞くまでまったく存在をしならなかったが、「シーインは中華系の激安ECサイトとして10代の若者たちのあいだでは知らない人はいないくらい有名」といわれた。
ところが、品質は「安かろう悪かろう」で、下手したら今日買って明日壊れるような低品質なものが普通に送られてくるのだという。
「夢展望」はどうなのか。こちらも激安ECサイトなのだが、東証グロース銘柄となっていて20年ほど前から中国の企業を子会社化して、やはり中国と密接な関係のある企業だった。
やはり、生地が安っぽかったり、薄かったり、破れやすかったり、縫製が雑だったり、ボタンがすぐに取れたりするようなものが多く、当たり外れが激しいという話を彼女たちはいっていた。
しかし、圧倒的に安いので彼女たちは、そういうものだと割り切って使っている。そして、雑貨や日用品はダイソーやキャンドゥやセリアのような100円ショップを使っており、友だちとのウィンドウショッピングはドンキホーテでする。
激安の製品というのはとにかく中国発であり、日本の若者はもはや中国安物商品で衣服や雑貨や食事をまかなっているといってもいいような状況がここでも確認できた。日本社会がそうなっていた。
日本の高品質なものは中国人の富裕層が購入し、中国の低品質なものは日本の貧困層が購入する。日本は貧困層が増えているので、日本のECサイトはもう中国が占領してしまうのではないか。
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防衛策として100円ショップを多用するのは当然
100円ショップ市場規模は右肩上がりで膨らんでおり、ここ10年でも一度も市場規模が縮小したことがない。
100円ショップの大手は、ダイソー、セリア、キャンドゥ、ワッツなのだが、この大手4社の店舗数も増え続けて10年で3000店舗も増加しており、すでに市場規模は1兆円近くになっている。
私の知り合いの中でも「100円ショップで買えるものであれば、他では買わない」という人もいるくらい日常に溶け込んでいる。実際、こうした店を見てみると、ここだけで何でも揃えられるのではないかと思うほど大量の商品が置いてある。
何でも100円で買える。衣類も化粧品も文房具も、みんな100円で買える。ジャンクフードやスナック菓子も売っていて、こうしたものも100円で気軽に買える。
実のところ、こうした100円ショップの台頭が日本社会に「安かろう悪かろう」を定着させた元凶なのだが、日本は政治家が無能すぎて30年もデフレの中にいて賃金が上がらない社会になっているので国民が防衛策として100円ショップを多用するのは当然のことでもある。
さらに無能すぎる政治家は数十年にもわたって少子高齢化を解決することもなかったので、ますます社会を停滞させた。その高齢者もまた100円ショップで頻繁に買い物をしている。それもそうだ。節約するためにはそうするしかない。
日本人が低価格の商品だけしか買わないようになったので、あとから低賃金というしっぺ返しがやってきた。当然だ。低価格を実現するためには最大のコストである人件費を削らなければならないのだから、人々が低価格に群がれば群がるほど、仕事はどんどん低賃金にシフトしていく。
「低価格の横行=低賃金の横行」なのだ。本来であれば、日本経済がどんどん成長していけば、日本人も高品質なものを買って、たまに100円ショップを使うくらいのライフスタイルになっていたはずだが、経済が成長しないのであれば「低価格の横行=低賃金の横行」はとまらない。
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誰も100円ショップの危険性に意識を向けない
100円ショップが日常使いになると高級ブランドは壊滅的ダメージを受けるのかというと、実はそうではない。
弱肉強食の資本主義では格差を極度に広げていくので、大量の貧困層と共に数%の富裕層を生み出す。高級品はそのブランド力で安物が蔓延すればするほど、逆に富裕層に対して訴求力を増して生き残ることになる。
安物でダメージを受けるのは、適正価格で売られている商品である。適正価格というのは品質を維持し、手間をかけ、きちんと安全の確認も為され、それでいてほどほどの値段に抑えて売られているものだ。
こうした商品が安物の台頭で駆逐されて消えていき、そうした商品に深い知識を持った店も店員も同時に消えてしまう。適正価格の商品が消えたら、あとに残るのは超高級品か、粗製濫造されてすぐに壊れる安物だけである。
今後は、品質に評価のあった日本企業の製品に欠陥も目立つようになるだろう。貧困層が安物しか買わず、安物ばかりが流通するので、日本企業がコストをかけて品質を維持する努力を放棄するからだ。
日本人が安物に群がることで、品質を第一にする日本企業の根幹が崩れ去る。「どうせ安物しか売れないのだから、品質なんか保ってられない」というのが本音となる。
100円ショップの弊害はまだまだある。「100円ショップで節約できる」と貧困層は考えるが、実際にその行動を見るとまったく節約になっていないことが多い。なぜなら、1個の商品は安いのでついつい「あれもこれも」と不必要なものを買うからだ。
目的のものを1個だけ買って帰るということをしない。すぐに壊れる粗悪品を何個も買って、「安物買いの銭失い」という結果になる。これではまったく節約になっていない。しかし、節約になっていないと気づかない。
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安物を買うという習慣ができると逃れられない
ところで「貧困層はモノを買えない、モノを持っていない」というのはひと昔の話だ。安物の工業製品が無駄に大量生産されて100円で売られる現代はまったく違った光景になっている。貧困層は逆にモノであふれているのだ。
「必要だから買う」のではなく「安いから買う」というトリックに引っかかっている。安物が大量に売っていて、それを買える。だから、安物を買って不必要なものであふれる。
安物は中途半端な壊れ方をするので、それを捨てるのは惜しいと思って取っておき、結局は使わないままずっと部屋の片隅に置かれてどんどん不要品が溜まっていく。
また、安物はすぐに使えなくなるので、次々と買わなければならなくなる。そのために貧困層の部屋にはどんどん安物の製品で埋もれて、やがては収納できなくなって部屋の片隅に積み上げられるようになる。
モノをたくさん抱えれば、物理的にも精神的にも身動きできなくなる。しかも抱えているのは安物ばかりである。愛着が湧かないものに囲まれる。
そうなれば、やっと「安物買いのワナにはまった」ということに気づくようになるのだが、すでに安物を買うという習慣ができているので、そこから逃れられない。
「長い目で見ると結局は自分で自分の首を絞める結果」というのは、これを指している。安い物を買って得したいと思うあまりに、むしろ自分で自分の首を絞める結果となっている。
「安物ばかり買うのは弊害がある」という事実は、貧困層ほど知らなければならないのだが、貧困層ほど弊害が認識できないようになっている。一番気づかなければならない人間が、一番気づけない。
別に高級品を買えといっているわけではない。適正価格がどこにあって、どれがきちんとした商品なのかを見抜く賢い消費者に脱皮しなければならないのだ。そして計画的に買う。
そうしないと、いつまでも安物地獄に溺れたまま、自分もまた安物と同化して安物になっていく。