- 2022.07.12
- 心理,
これが洗脳(マインド・コントロール)で使われる手法だ!
「強制人間改造」は権力者にとって自分の都合良い人間を作り上げるのに必須の技術であり、だからこそよく研究されて様々なところで利用される。現在ではカルトが信者を自由自在に操るためによく使われている。そして、洗脳された信者の多くは、その後の人生が破壊される。(鈴木傾城)
「強制人間改造」は権力者にとって自分の都合良い人間を作り上げるのに必須の技術であり、だからこそよく研究されて様々なところで利用される。現在ではカルトが信者を自由自在に操るためによく使われている。そして、洗脳された信者の多くは、その後の人生が破壊される。(鈴木傾城)
悪魔は凶悪な顔をしてやってくるのではない。甘い顔をしてやってくる。だから、最初は騙されるかもしれない。しかし、いったん問題を感じたら、途中で「ノー」と言って離れる能力を持たなければならない。胡散臭いもの、どうでもいいものには「ノー」と言うのは技術である。(鈴木傾城)
いよいよ、トランプ大統領の任期が終わる。心から寂しい気持ちだ。トランプ大統領は異色だった。大多数を敵に回して意志を通すその姿勢は痛快でもあった。今の日本人が学習しなければならないのは、より八方美人になることではない。むしろその逆だ。トランプ大統領の姿勢にこれからも学びたい。トランプ大統領に敬意を表して、改めてこの記事をトップにしたいと思う。(鈴木傾城)
日本人の「人を信じる心」や「思いやり」は、ただの「弱さ」だと誤解されてしまっている。性善説は美点でもあるのだが、それが「お人好し」だと思われて体よく利用されている。(鈴木傾城)
信用できて、頼もしく、人間的に素晴らしい人を探すには、「3つのもの」が備わっている人を探せばいいと言われている。3つのものとは何か。それは「頭、心臓、足」に象徴されるものだ。 頭………頭は切れる人が頼もしい。心臓……誠実である人が頼もしい。足………実行力ある人が頼もしい。 自分自身を向上させるためにも、あるいは人を見るにも、この3つが備わっているのかどうかを点検すればいい。1つでも欠けていると、「 […]
日本人は「協調性」を大事にする民族なのだが、「協調性」をあまりに重視するあまりに「自己主張」や「敵への報復」ができなくなっている。つまり、敵に何をされても馬鹿のひとつ覚えのように「協調性」「未来志向」などと言って、恫喝・威嚇・暴言・理不尽に耐えてしまう。 攻撃されても「協調性が重要」などと言って、まったくやり返さない。暴言を吐かれても「協調性が大事」と言って、まったく言い返さない。だから、周辺国の […]
今まで日本人の多くは中国・韓国・北朝鮮の反日に対して卑屈に接してきた。相手が強く出れば、自分が折れればいいと思ってきた。 最近になって、日本人はこの特定三カ国の理不尽で傲慢な恫喝に抗議するようになっているのだが、それでも日本国内には「黙って放っておけばいい。話し合って合意点を見つければいい」と日本が耐える論調を話す人が大勢いる。 外交的に軋轢になるとか、外交的に相手を傷つけるとか、相手に責められる […]
韓国が慰安婦問題、徴用工問題、旭日旗問題、レーダー照射問題などの「反日言動」で気が狂ったようになっているが、この「反日」は韓国が子供の頃から日本を憎むように公然と教育した結果でもある。 反日は教育の現場で行われて、韓国人は徹底的に反日思考に洗脳されていったのだ。そうであれば、韓国と日本の関係はいずれは軋轢を生み、対立や衝突に向かうのは100%間違いのないことだったのだ。 そして、最近は反日を知った […]
自分の主張ばかりで他人の話をまったく聞かない人間がいたとする。何でもかんでも「自分は正しい、相手は間違っている」と考え、自分の主張だけを大声を張り上げて押し通す。 そういった人間はやがて孤立して、まわりに誰も寄りつかなくなる。そうすると、その人間は孤立に気付いて、今度はこのように叫び出す。 「私は差別されている。傷ついた。謝罪と賠償しろ」 客観的に考えれば、この人は自分の主張ばかり押し通して「話に […]
人は誰でも最初から社会的に成功をしているわけではない。自己実現ができているわけではない。幸せなわけではない。やりたいことができているわけではない。 つまり、人は不完全な状況にある。そのため、人は地道な努力をする。自分を良い方向に変えるために、誰よりも努力したり、考えたり、行動したりする。 では、誰もが向上心を秘めて、努力と研鑽を積んで目標に近づいていくのかと言えばそうでもない。巧妙に努力を避け、自 […]
国外に出れば、まったく文化が違い、環境が違い、言葉が違い、空気が違い、習慣が違う。つまり、日本で培った常識や考え方はまったく通用しなくなる。 たとえば、東南アジアに行けば緑茶に砂糖が入っている。あるいは、ウーロン茶にも砂糖が入っている。甘いソーセージもあれば、砂糖入りのカレーすらもある。(甘さひとつを取ってもそれぞれの国や時代で感覚が違う理由) 確かに日本とはまったく食文化の基礎が違っているのだが […]
日本企業は、社員がとびきり何かができなくても、平均的に何でもできることを求めている。そして、「無難であること」「平均であること」というのが非常に重宝される。 平均的であれば、組織の歯車として最適だからだ。何でも平均的にできれば、どこにでも配置できるし、さらに歯車が使えなくなったら、すぐに別の歯車と取り替えられる。 平均的であるというのは、要するに人材の「規格化」なのだ。誰かが抜けても、その抜けた部 […]