ジョブ型雇用の転換で、今後は自分の人生の浮沈は否が応でも自己責任になる?

ジョブ型雇用の転換で、今後は自分の人生の浮沈は否が応でも自己責任になる?

日本企業と日本政府が進めている「ジョブ型雇用」は、終身雇用も年功序列も完全に捨て去る雇用の大転換となる動きである。すごい能力を持つ人間は高給で雇い、そうでもない人間は低賃金で使い捨てるというものであり、これまで日本経営とは完全に決別するものとなる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

日本の雇用は非常に劇的な変化を遂げようとしている

今、日本の雇用は非常に劇的な変化を遂げようとしている。それは欧米型の「ジョブ型雇用」の転換だ。ジョブ型雇用というのは、その仕事に関する「プロ」をその人の能力に応じた賃金で雇って仕事をしてもらう制度である。

今までの日本型の雇用(メンバーシップ型雇用)は、「まっさらな人材を雇用して会社の文化に馴染ませ、教えた仕事をやってもらう」というものだったが、もうそんな悠長なことをやっているヒマがなくなったので、「プロを外から連れてくる」という方向に転換したのだ。

大企業で言えば、資生堂・KDDI・富士通・パナソニック・双日・三菱ケミカル・日立製作所などがあるのだが、間違いなくこの10年にほとんどの日本企業がジョブ型雇用に転換していくだろう。

実は日本政府も企業がジョブ型雇用に転換するのを後押ししており、岸田首相も2022年9月22日に「ジョブ型の職務給中心の給与体系への移行を促す企業向けの指針を策定する」と述べている。

それを日本ではなく、資本主義の総本山であるニューヨークで述べたのが興味深い。まるで欧米に「そうしろ」と言われたからやっているような印象があった。

とにかく、いよいよ個人は自分の能力《スキル》で賃金や昇給に莫大な差がつく時代に突入し、何も取り柄のない人間は低賃金どころか会社から容赦なくクビが切られる時代になっていくということだ。もう、そういう時代に舵が切られた。

1990年代までの日本は、中小零細企業を含めてほぼすべての日本企業が年功序列・終身雇用の「メンバーシップ型雇用」を取っていた。そのため、サラリーマンは自分の人生に責任を負う必要がなかったとも言える。

どこかの企業に所属しているだけで、その企業が定年まで面倒を見てくれたからである。サラリーマンは大過なく働いていれば、あとは何も考えなくてもよかった。自分の仕事の結果すらも考えなくてもよかった。すべては「上の人」が責任を負っていたからだ。

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ある意味、サラリーマンは大船に乗って生きていた?

ある意味、サラリーマンは大船に乗って生きていたという言い方もできる。安心で安全で安定があったからだ。

自分で自分の仕事を見付け、食い扶持を探し、必死になって収入を確保するというのは、とても苦しいことだ。何しろ自分が失敗したら自分が責任を取らなければならない。下手したら翌日から路頭に迷う。

だから、会社というぬるま湯に浸かり、「社畜」として生きることに徹する日本人が大半になっていった。

多くの自営業者が「毎月、決まった給料を振り込んでもらえるサラリーマンが羨ましい」と言う。寝ていようが、サボっていようが、だらだら仕事をしていようが、給料はそれなりに振り込まれる。定年まで、それが絶対的に保証される。

給料を意図的に増やしたければ、昼間は仕事をしないで、夜から仕事をすると、今度は残業手当というものさえも会社からせしめることもできた。

将来に不安を感じなくてもいいのだ。仕事の結果を考えなくても、会社はせっせと給料を振り込んで養ってくれる。確かに給料は安いかもしれないが、これほどの「安定」は想像できないほど恵まれたことだ。

つまり1990年代までのサラリーマンは、自分の人生に自己責任を負わないでも生きていけた特権階級だったのである。しかしバブル崩壊と共に、こうした終身雇用の制度は徐々に機能しなくなり、見捨てられていくことになる。

バブル崩壊によって日本企業が体力をなくしたのと同時に、この頃から情報革新が急激に進んでいき、社会が急激に変わっていった。

グローバル化した社会で、グローバル企業が途上国で安い製品を作って世界中に売りさばくようになったので、ほぼすべての企業が世界中の企業と激しい競争を強いられるようになっていく。

それと同時に、ハイテクを中心として激変する社会に対応するために高度な技能を持った人間をも必要となってきた。つまり、低賃金で働く労働者と共に高度な技術を持った人材も必要になってきたのだ。

その両方を満たすのが「ジョブ型雇用」である。

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ジョブ型雇用が良いか悪いか議論しても仕方がない

日本企業と日本政府が進めている「ジョブ型雇用」は、終身雇用も年功序列も完全に捨て去る雇用の大転換となる動きである。すごい能力を持つ人間は高給で雇い、そうでもない人間は低賃金で使い捨てるというものであり、これまで日本経営とは完全に決別するものとなる。

今までは、「どこか大きな会社に就職すれば将来は安泰」という標準的な人生設計が日本人にはあった。それがジョブ型雇用で完全否定される。ジョブ型なので、仕事が時代遅れになったり、プロジェクトが利益を出せないのであれば、即リストラの対象になる。

サラリーマンは安定した職種ではなくなるということだ。すでに日本では2000年代から非正規雇用での採用が当たり前のようになってきているのだが、まだ正社員という聖域もあった。

しかし、ジョブ型雇用では正社員という立場も消えていくだろう。雇用されるすべての人員は「その仕事ができるかどうか」で判断されるようになり、能力があれば高賃金に、能力がなければ低賃金に区分けされて、どちらもプロジェクトが終われば「はい、さようなら」という雇用となる。

ひとつの企業が、その人の人生を定年まで面倒を見ることがなくなり、「自分の面倒は自分で見ろ」ということになっていく。

こうした傾向は、インターネットの高度な発展、人工知能の進化、ロボット化などによる雇用を削減するイノベーション(技術革新)によって、さらに苛烈なものになっていく。

欧米のグローバル企業はもともと、そういう雇用だった。この欧米の企業の手法が今の資本主義で成功し、次世代の技術革新をリードし、圧倒的な優位に立っている。彼らがイノベーションが世界を席巻している。だから、日本企業も生き残るために、そこに近づくのは避けられない流れなのだ。

ジョブ型雇用が良いか悪いか議論しても仕方がない。世の中はそういう流れになっている。何の危機感もなくサラリーマンを続けているというのは自殺行為である。もっと激しい危機感を覚えなければ未来に抹殺される。

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すべてが「自己責任」に帰結していく

ジョブ型雇用になると、会社組織は従業員を長く雇用しない。愛社精神なんかどうでも良くて、技能だけが求められる。仕事やプロジェクトの単位で誰かを雇い、仕事が終わったら消えてもらう。

ジョブ型雇用では、終身雇用が馴染まない。だから、日本人の「組織」に依存して生きる昭和の価値観では人生設計が崩壊する。今後は自分の人生の浮沈は否が応でも「自己責任」になっていく。

これからは能力がなければ、いとも簡単に放り出される前提で生きる必要がある。そして、いざ放り出されたとき、それでも生きていけるのか、食べていけるのか、すべてが「自己責任」に帰結していく。

自己責任の時代だから、自分の生き方を誰かに責任をもってもらうわけにいかない。自分の人生に起きる結果は、すべて自分が受け止めなければならなくなる。

今までは終身雇用(メンバーシップ型雇用)だったので「給料が低い、待遇が悪い」というのは、会社のせいにしていれば良かった。

しかし、ジョブ型雇用が浸透した社会ではその愚痴はなくなる。「低賃金・悪条件に文句あるんだったら、さっさと転職して賃金の良いところに行けば?」となる。「能力があるのであれば、低賃金の会社にいるのがおかしい」と言われるようになる。

時代が求める能力《スキル》を研ぎ澄ましてそれを証明できる人間はどこまでも勝ち上がれるが、そうではない人間はどこまでも落とされていく。能力があるかどうか。その能力は他者を凌駕するものかどうか。それで人生が決まる。

ジョブ型雇用というのは、個人の能力が生存の可否を生み出す環境なのである。

個人が生き残りの能力を試される。自分の能力ひとつで生き残れるかどうかという時代に入る。もちろん、経済的な格差はひたすら広がっていく上に、能力のない人間は絶対的に這い上がれない社会になる。世の中はそういう流れになっている。

岸田政権も「ジョブ型の職務給中心の給与体系への移行を促す企業向けの指針を策定する」と言っているのだから、ジョブ型雇用はもう止まらない。そういう社会になっていることに私たちは備えるしかない。

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