ワケの分からないカタカナが出てきて、働く人たちを惑わせて貧困化させていく?

ワケの分からないカタカナが出てきて、働く人たちを惑わせて貧困化させていく?

新しい能力を開発して成長産業に転身するというストーリーはとても夢がある。しかし、「正社員として雇っている中高年が邪魔になったので、そういう夢を見させて追い出す」というのが本当の意図であるとすると、なかなか邪悪で陰湿なやり口ではある……。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

「ノマド」という生き方を聞かなくなった

一時期、「ノマド」という言葉が流行して「新しい働き方だ」と喧伝されたが、最近はまったく聞かなくなった。ノマドとは本来は「遊牧民」という意味なのだが、国境を越えて、自分の働きやすいところに移動するグローバルな人たちをノマドという言葉で表すようになっていた。

「国境を越えて働く人間は格好がいい」とマスコミが煽って、実際にノマドになる人が大勢出てきたのだが、ほぼ淘汰されたと言っても過言ではない。それもそうだ。コロナ禍で海外の渡航や移動が突如として困難になったからである。

彼らは身動きできなくなってしまったのだ。その上、コロナ禍では仕事が激減してしまったわけで、ただの個人事業主であった彼らは一瞬にして収入が断たれてしまったのである。言っていれば、彼らは海外で「棄民」となったにも等しい。

貯金が十分にあったら、そのまま海外でフラフラ遊んでいたらいいのだろうが、2年も3年も海外で遊べるほど財力があったら「ノマド」なんかで仕事をしていないだろう。そういうわけで、大半のノマドは淘汰されて消えていった。それと同時に、「ノマド」という言葉も消えてしまったわけだ。

もっとも、コロナ禍がなくてもノマドというライフスタイルはキツいのではないかという考察はずっとあった。なぜなら、彼らの交通費からカフェ代などの経費は非常に高く付くので、「個人事業主としては割りに合わない」とずっと言われていたからだ。

しかも、毎日カフェでコーヒーを飲んで仕事をするのは優雅だが、カフェの代金はタダではない。そういう無駄な経費がノマドには積み重なっているわけで、収支はかなり苦しいのではないかというのが一般的な見方であった。

もちろん、一部にはノマドで成功している人もいるだろう。しかし、全体を見るとかなり無駄のある働き方であるとも言える。

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フリーターというのは体の良い「使い捨て要員」だった

マスコミは一方的にノマドが素晴らしいと煽っていたが、「マスコミがカタカナで新しい働き方を喧伝するようになったら警戒しろ」とはネットでもよく言われるようになってきている。

私たちは、これについては1つの事例を思い出さなければならない。2000年代、正社員よりも非正規雇用者の方が格好良いとして、日本のマスコミが、やたらと「フリーター」という言葉を煽っていたことがあったはずだ。

「自己実現をするならフリーター」だとか「自由な働き方をするならフリーター」とか、やたらと非正規が素晴らしいと煽っていた。マスコミにその意図があったのかどうかは別にして、あたかも情報操作しているかのようにも感じるほどだった。

だから、若者たちの中には、自ら「自分の時間を大切にしたい」「自分の夢を大切にしたい」と言って、フリーターの道に飛び込んでいったし、それは新しい働き方として肯定的に捉えられたのだ。

しかし、いざ「フリーター」という立場になってみると、マスコミのイメージとは裏腹に、それは非常にリスキーなものだった。雇うかどうかの選択肢は常に企業側にあり、彼らにはなかったし、景気が悪化したら真っ先にクビを切られるのは彼らだったし、しかも正社員と比べて賃金も待遇も悪かった。

要するに、フリーターというのは体の良い「使い捨て要員」であったのだ。

しかし、それに気づいたときはもう遅かった。彼らが慌てて正社員になろうとしても、フリーターから正社員になる道は限りなく遠くなっていた。フリーターは一生、派遣労働者という不安定な身分に固定されたとなったのだ。

この時代に一気に格差が開いていったが、フリーターという言葉のまやかしに引っかかった若年層が格差の底辺に追いやられていた。一方の企業は、マスコミがフリーターを「新しい働き方」として肯定的な扱いをしてくれたので、若者を正社員で雇わずに済み、多大なるコスト削減に成功した。

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次は中高年が「リスキリング」に騙されて転落か?

最近、気がかりな言葉が政府から提唱されるようになり、マスコミがまたもやその言葉を「何か素晴らしいもの」であるかのように喧伝するようになってきている。それが「リスキリング」というものである。

「リスキリング」というのは「技術革新やビジネスモデルの変化に対応するために、新しい知識やスキルを学ぶこと」なのだが、これによって政府は日本人を成長産業に移行させようとしている。

しかし、人間の資質や得意や関心はひとりひとり違っているわけで、「こちらが成長産業です」と言われて、右から左に移れるようなものではない。

おまけに日本の労働市場の状況を見ると、いったん退職した人間が次に正社員で雇われるのはけっこう厳しくて、どうしても非正規雇用になっていく。なんとか正社員になっても、収入は激減したりする。特に中高年はそうなのだ。

とすれば、この「リスキリング」という流行りに乗って転職してみたら、新しいスキルを評価してもらえるどころか、未経験者として非正規雇用の使い捨て要員にされる可能性も高い。

かつて、ノマドやらフリーターという言葉に騙された若者が困窮したように、今度は中高年が「リスキリング」に騙されて転落して困窮する可能性がある。新しい職種にやってきた新人未経験者の中高年を高収入で雇う企業があるかどうか常識で考えても分かるはずだ。

フリーター=使い捨て労働者
ノマド=使い捨て労働者
リスキリング=使い捨て労働者

結局はこういうことではないのか。このリスキリングは日本政府が提唱しているのだが、その裏には経団連や経済同友会などの財界の意向が強烈に働いているのは間違いない。

では、なぜ財界はこんなものを提唱しているのだろうか。今までの経緯から見ると、中高年の正社員が邪魔なので、切り捨てたいからではないか。

かつて「フリーター」とか「ノマド」という言葉で、まんまと若者を非正規雇用という「使い捨て要員」にできた。次は「リスキリング」で中高年を切り捨てようとしているのではないか。

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「夢を見させて追い出す」というのが本当の意図?

新しい能力を開発して成長産業に転身するというストーリーはとても夢があるし、本当にそれができるのであれば越したことはない。

しかし、「正社員として雇っている中高年が邪魔になったので、そういう夢を見させて追い出す」というのが本当の意図であるとすると、なかなか邪悪で陰湿なやり口ではある。

「財界がそんな邪悪な手口を使うのだろうか」と思う人もいるかもしれないが、財界は別に労働者の代表でも何でもなく、ただの利益追求集団である。自分たちの利益になることであれば、それを政府に提言して強引に進めさせる。

他の例を見よう。たとえば「多文化共生」などもそうである。

多文化共生と言えばとても美しい言葉であり、「共生」とか言われたら否定できない言葉である。それで、ふと気づくと、日本ではいつしか外国人が大量に居住するようになって、国民の知らないうちに多文化共生が「勝手に」進められている。

なぜ、外国人が大量に住み着くようになったのか。なぜ日本人は「多文化共生」という言葉を押しつけられているのか。

それは、財界が「安い労働力」を求めて途上国の外国人を連れてきて、低賃金・悪条件で働かせようと考えたからだ。

財界は安い労働力を求めて外国に工場を作って国内を空洞化させた。それは「グローバル化」という言葉で正当化された。そして、財界は安い労働力を求めて外国から労働者を連れて来て国内を外国人まみれにしている。それは「多文化共生」という言葉で正当化された。

自らの利益を極限まで増やすためにやっている。日本人の賃金が低いのも、日本人が使い捨て要員に転換されるのも、外国人まみれになるのも、すべては企業が「もっと儲けるため」である。

財界の意向は政府に実行させ、マスコミがそれを喧伝する。そして、ワケの分からないカタカナが出てきて働く人たちを惑わせて貧困化させる。これを邪悪と言わずに何を邪悪と言うのか……。

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