今後も雇われて給料をもらう生き方を続けていたら苦しみしか得られなくなる?

今後も雇われて給料をもらう生き方を続けていたら苦しみしか得られなくなる?

相当なスキルを持っていない限り、「雇われて生きる」という生き方では厳しい戦いを強いられる。場合によっては貧困地獄に落ちてしまうこともあるだろう。グローバル化と多文化共生が止まらないのなら「雇われて生きる」というのは誰にとっても安定した生き方になり得ないのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「グローバル化」と「多文化共生」という言葉

政府統計によると日本人の8割は誰かに雇用され、給料をもらって生活している。サラリーマンもそうだが、非正規雇用者も、日雇いも、みんな誰かに雇用されて給料をもらっている。

それなのに今、このシステムが危機に瀕している。世界がグローバル化していくことによって、雇う側は2つの手法で安い労働者を確保するようになってきているからだ。1つは外に出て行って安い人材を雇う。1つは外から連れて来て安い人材を雇う。

「グローバル化」と「多文化共生」という言葉を思い出せば早い。

「グローバル化」というのは、企業が外に行って安い人材を確保するもの。「多文化共生」というというのは外国人を外から連れて来て日本に住まわせ、安い労働力を確保するための方便だ。

この2つで企業はいくらでも安い人材を「使い捨て」にできるようになった。そのため、この2つが加速すればするほど、先進国の高い賃金を取る人材は要らなくなっている。

たとえば、ベトナム人の労働者の平均月収は約3万8280円。こういう人材がいる国に出かけて彼らを雇うか、あるいは彼らを日本に連れて来て低賃金・悪条件で働かせた方が得だと経営者が思うようになっても仕方がない。

グローバル化で競争自体もグローバルになったので、企業はどこもコスト削減に追われている。それならば、ひとまず先進国の労働者、すなわち「高い賃金を支払わなければならない労働者」を安い労働力に入れ替えた方が得だ。

いまや日本でもリストラは恒常化している、賃金の高い日本人を雇っていればグローバル競争に勝てないのであれば、企業は自国の雇用者を放り出すか、日本人の労働者の賃金を下げるしかないのである。

こんな状況の中で、日本人が給料をもらうことで生きていこうと思えば、どういう人材になる必要があるのか?

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途上国並みの安い給料に文句を言わない人が求められる

「グローバル化」と「多文化共生」が進んでいく中で日本人が雇われて働くのであれば、こういう人材になる必要がある。

「高い専門知識を持ち、猛烈に働き、途上国並みの安い給料でも文句を言わない」

「途上国並みの安い給料でも文句を言わない」という部分が重要だ。グローバル化と多文化共生が進む中では、必然的に労働力は途上国の賃金と競合になるからだ。

だから、グローバル化・多文化共生が進む社会の中では、給料だけの生活をしていると、どんどん貧困になる。そして「雇われて生きる」という生き方は貧困の象徴になる。グローバル化と多文化共生が賃金低下をとことん推し進めるからだ。

日本でもグローバル化と多文化共生が定着しつつある。外国人労働者も大量に入ってきているし、日本人も非正規雇用者が就労者の4割を占めるようになっている。そうであれば、低賃金で働くことができる人が雇われ、できない人が捨てられるという動きも定着したということである。

この動きは、もはや止まらない。企業は資本主義の激烈な競争の中で、永遠にコスト削減に追われるからだ。

コスト削減といえば、最もコストの高い「人件費」は無視できない削減対象となる。だから、それは削減される。しかし、ただリストラするだけでは企業自体が縮小化していくので、リストラした分「もっと安い給料」で働く人を探し求める。

それが海外移転での低賃金外国人労働者の雇用の動きや、多文化共生での国内の低賃金外国人労働者の雇用の動きになる。安ければ労働者の国籍など関係がない。

そうやって日本人の雇用者は入れ替えられていく。次に働くところは低賃金・悪条件の非正規雇用の仕事しかなくなってしまうわけである。日本人の賃金と労働環境が毎年のように悪化し続けていく要因がここにある。

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利益は企業に投資した株主や経営者に還元される

今後も日本人労働者の「使い捨て」は続く。そして、会社がどんなに利益を上げても、それは使い捨ての労働者には還元されない。還元したらコストになるからだ。利益は働いている人たちではなく、企業に投資した株主や経営者に還元される。

それが現在の弱肉強食の資本主義のルールだ。かつて、「会社は働く人たちのもの」と馬鹿な勘違いをしている人たちも多かったが、もうそんな勘違いをしている人は消えた。会社は、株主のものなのである。

給料をもらって生活しているだけだと、厳しい生存競争を強いられるのだ。生活できるかどうかのギリギリの給料にされた上に、会社が「もう要らない」と思ったらすぐにリストラされる。

だから、ただ「雇われて生きる」だけだと、どんどん使い捨て人材にされていき、使い捨てされ、貧困の元凶となり、貧困層が膨大に増えていく。すでに平均年収186万円の貧困層は約1200万人にもなっているのだ。

彼らは「労働力の価値」が下がった結果生まれてきたものである。グローバル化や多文化共生の流れがとまらない限り、これからも平均年収186万円の貧困層は増えていく一方だろう。

グローバル化や多文化共生の流れが日本に広がっていったのが1990年代だが、その時は日本人は誰ひとりその結果を想像せずに放置したままだった。それが、今になってボディーブローのように効いてきている。

1990年代以降、工場がどんどん海外に移転しても、日本人は何ら危機感を持たなかった。多文化共生で外国人が入ってきても危機感はなかった。それが自分たちを貧困化する動きであるとは想像もつかなかったのだ。

実際に自分たちの労働環境が悪化するようになってから、やっと日本人もグローバル化・多文化共生が自分たちの仕事や賃金を劣化させる動きであることを理解するようになった。しかし……、もう手遅れだった。

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凄まじい時代に、私たちは足を踏み入れている

それでも「雇われて生きる」という生き方を続けるというのであれば、相当なスキルを持っていない限り、厳しい戦いを強いられてしまうのは間違いない。場合によっては貧困地獄に落ちてしまうこともあるだろう。

グローバル化と多文化共生が止まらないのなら、「雇われて生きる」というのは誰にとっても安定した生き方になり得ないのだ。

2020年から3年近くコロナ禍で経済が痛み、この中で全世界の中央銀行は景気を支えるために莫大な金融緩和を行ったのだが、これが今になって1970年代まで遡らないと例を見ないような高インフレを引き起こしている。

そのために、中央政府は2022年になって一転して利上げ・利上げ・利上げに走るようになり、もはや90%以上の確率で景気後退《リセッション》が来るのは確実な状況に追い込まれつつある。

景気が後退したら、企業はますます環境を低賃金にするか、悪条件にするか、会社から放り出すことを考えるようになる。学生は内定を取るのが難しくなって、バブル崩壊やリーマンショック時の頃のような就職氷河期に巻き込まれる。

2023年はそういうことが起こっても、まったくおかしくない。誰もが「リストラ、賃金の削減、雇用の削減」という嵐をまともに食らう可能性もあるのだから、今から注意しておくに越したことはないのだ。

問題なのは、景気後退を脱したとしても状況は良くなるわけではないことだ。日本政府はグローバル化と多文化共生を加速させようとしているし、国民は別にそれに対して反対運動をしているわけではないのだから、なし崩しにそれは進む。

会社は非情になり、給料に依存するだけの生活を続けていたら自ら貧困に落ちる。

日本人は社会がこのように変わってしまったことを理解して、自分が社会を変える能力がないと思うのであれば、そろそろ生き方を考えるか生き残りを考えた方がいい。昔とは違う。雇われてもやっていけない凄まじい時代に、私たちは足を踏み入れているのだ。

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