日本人が老いてボロボロになっても働かなければならなくなった理由

日本人が老いてボロボロになっても働かなければならなくなった理由

少子高齢化と社会保障費の増大に苦しむ日本に生きる私たちが必然的に歩まなければならないのは「高齢になっても働かされる現実」である。

60歳過ぎても、70歳過ぎても、身体が動く限り「働かされる」国へと変質していく。今までは「定年後も働きたい」と考える人が働き、働きたくないと思う人は年金でのんびりと暮らす選択肢があった。

しかし、これから社会保障費がさらに増大して税金を取り立てることにも限度が訪れたとき、「働かずに年金でのんびり暮らす」という選択肢は奪われ、人生のギリギリまで働かされて死んでいくことになる。

言うまでもないが、働きたいと思って働くのと、働きたくないのに老体に鞭打って働くのとは、同じ働くでも意味合いがまったく違う。

「老いてボロボロになっても働かされる」というのは、かなり過酷なことであると考えなければならない。しかし、政府や有識者は必ずそれを促進していく。

すでに日本は1080兆円を越える国の借金があって、毎年100兆円近い予算を必要として、そのうち約27.6兆円を赤字国債で賄っている国である。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

貯金がなければ老体に鞭打って働くしかない?

いくら日本が先進国であったとしても、高齢者が増えていく一方で若年層が減っていくのであれば、社会保障費の増大は止められない。

そうであれば年金受給年を引き上げて、年金が支給される歳までは働いてもらおうと政府が考えるのは当然のことだ。まさにそうやって年金受給年は60歳から65歳になった。

今後は65歳から68歳へ、68歳から70歳へと引き上げられる話も出てきているので、メドがついたらそのような動きを加速していくことになるだろう。

政府としては、そうするしかないからしているだけなのだが、どんどん年金が引き上げられると、人々は年金がもらえるまで何とか働いて生き延びるしかない。

では、年金がもらえる年齢になれば働かなくても済むのかと言われれば、もらえる年金が雀の涙ほどの額であったら結局はその穴埋めのために働くしかない。

それまでに十分な貯金があれば別だが、貯金がなければ老体に鞭打って働くしかないのである。

子供がいれば「その子供が面倒をみてくれるはずだ」と考える親はほとんどいない。

子供世代は親世代よりもはるかに厳しい環境で生きているので、子供に面倒をみてもらうどころか、逆に少ない年金と貯金の中で自分が延々と子供の面倒を見なければならないことになったりする。

「働かずに年金でのんびり暮らす」という選択肢を選べる人はどんどん少なくなり、老いても働かなければならない人がどんどん増えていく。

全員が全員そうなるわけではないのだが、多くの高齢者がそういう状況に追い込まれる。

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「高齢者が働くのは当たり前」という動きになる

日本政府は日本社会を崩壊させないために、いずれは明確に「高齢者を支える」という観点から「高齢者を無理やり働かせる」という観点にシフトさせる。

年金受給年を引き上げ、高齢者をとことん働かせることに成功すれば、政府は社会保障費の増大を止められ、働き手不足も解消できるからだ。

移民を受け入れれば、反日国家から工作員みたいな人間ばかりが大量流入して文化破壊が起きてしまう中では、移民政策も進まない。

そうであれば、日本人の高齢者を「無理やり働かせる」以外に、今の日本を何とかする方法がない。それは、今の時点で考えられる最も現実的な対処なのである。

そのため、これからの日本政府はありとあらゆる方策で「高齢者が働くのは当たり前」という理屈を押し出してくることになる。

政府は「60代を高齢者と呼ぶのはやめよう」と言い出しているのだが、確かに今の60代は若く見えるようになって健康にも気を使っているので、かつてのような「見るからに高齢者」ではなくなってきている。

そういうこともあって「60代を高齢者と呼ぶのはやめよう」という提案はスムーズに受け入れられるようになっているのだが、これは「60代は高齢者ではないのだから働け」という社会圧力になっていく。

さらに「働き方改革」「一億総活躍社会」という言葉や動きも、日本人の高齢者を「無理やり働かせる」ために出されている方策であることに気づかなければならない。

「生き甲斐を持って働ける環境を作る」というのは、要するに「働ける環境を強制的に作るから、老いても働いて生き甲斐を見つけろ」ということに他ならない。

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少子高齢化を放置したことで起きていることだった

本来であれば、日本は生産年齢人口(15歳から64歳)が減少し始めた2000年には少子高齢化の対策をしなければならなかった。しかし、日本政府はまったく何も手を打たなかった。

このままでは日本の存続を脅かす問題になると分かっていたのに、放置し続けてきた。国民もまた少子高齢化についてはまったく何の懸念を持とうともしなかった。

あえて名前は出さないが、「狭い日本なのだから少しくらい人口が減ってもいいだろう」と馬鹿丸出しのようなことを言っていたテレビの評論家もいた。それほど危機感も将来を見る目もない人間だったということだ。

さらに、もはや少子高齢化の弊害がはっきりと見えるようになった今の時代ですらも、まだ少子高齢化の危機が見えていなかったりする。

地方は少子高齢化の進行で次々と過疎が進んで崩壊しているのに「少子高齢化で社会が破綻は大いなる誤解」とか言葉遊びをする人間すらもいる。

破綻に向かっているから、日本は「もはや高齢者をギリギリまで働かせるべきだ」という話になっているのだ。

別に私は「高齢になっても働くのは悪いことだ」と言っているわけではない。高齢者がボロボロになってしまうまで働かなければならない時代が来たことを懸念しているのだ。

これからの世代は、老いても弱ってもありとあらゆる理屈で働き続けることを「強制」される人生と化す。すべては少子高齢化を放置したことによって起きたことだ。

少子高齢化を放置したことで日本の内需は減退し、イノベーションが起きにくくなり、地方が壊死し、活気が失せ、年金受給年は引き伸ばされ、年金額は減らされ、医療費は高くなり、自分自身は「死ぬまで働かなければならない」ことになった。

もし、日本は「なぜ」こんなことになったのかと憂う日がきたら、「少子高齢化を放置したから」という因果関係を知っておくべきだ。

恋する男女、結婚する男女、子供を産み育てる男女をきちんと祝福せず、サポートせず、国や社会全体できちんと盛り上げてこなかったツケが、「死ぬまで働かなければならない」という状況を生み出したのだ。(written by 鈴木傾城)

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