日本は改憲・核保有・軍事力強化をして憲法第九条は周辺国に押しつけるのが良い

日本は改憲・核保有・軍事力強化をして憲法第九条は周辺国に押しつけるのが良い

戦争に反対しても平和になるわけではない。侵略が進む中での平和主義の押しつけはワナである。日本は改憲・核保有・軍事力強化をして憲法第九条は周辺国に押しつけるのが日本にとって最も良いのだ。憲法第九条の使い方を変える。それは他国に押しつける戦略に転換するのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

戦争したくなくても、相手が仕掛けたらいつでも戦争は起こる

ロシアが理不尽なウクライナ侵攻をはじめて、愚かな指導者の決断ひとつで侵略戦争はいつでも起こり得るのだという「現実」を日本人も意識するようになってきている。そして「日本は大丈夫なのか?」と誰もが思うようになってきている。

隣国はどこでも何かしらの問題を抱えている。日本も中国・韓国・北朝鮮にロシアというリスクのある国々が隣国なのだ。

これらの周辺国のどこかの愚かな指導者が「日本を攻撃する」という決断をしたら日本もウクライナのようになる可能性は十分に高い。もっと分かりやすく言えば、日本もいつでも侵略戦争に巻き込まれる。

この「当たり前」を認識するのは非常に重要だ。戦争は、自分ひとりでするものではない。戦争は相手があって始めて起こり得る。相手が仕掛けたら、いつでも戦争は起こるのである。

周辺諸国が「武力を行使してでも相手の領土が欲しい」と思ったら、日本がいくら平和を望んでも平和にならない。今まさにウクライナで起きているのが、そんな現実なのである。

ウクライナは今、必死で抵抗している。そんなウクライナを見て日本人の識者の中には「ロシアに降伏しろ妥協しろ」と言う人間もいる。あるいは「抵抗は無駄だからあきらめろ」という人もいる。

こういう平和主義の意見をマスコミも嬉々として報じる。「平和は何よりも大切だから」というわけだ。しかし、平和主義であることは国家をより危険にさらすことになる。なぜなら、刃向かってこないと分かっている平和主義国家には侵略戦争を仕掛けやすいからだ。

侵略者も馬鹿ではない。攻め落としやすいところを狙う。

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平和とは、お互いが望まないとやって来ない

侵略の野心や暴力による恫喝を隠さない中国や韓国や北朝鮮やロシアのような国があって、これらの国が虎視眈々と日本を狙っている中では、いくら日本だけが「平和」を唱えても無駄だ。

日本が平和を望んでそれを志向していたとしても、これらの国家が侵略や戦争を仕掛けてきたらどうしようもない。いくら日本が「憲法第九条」と言ったところで、踏み潰されるのがオチだ。

平和は、お互いが望まないとやって来ない。一方が平和を望んで、一方が暴力闘争を望んでいたら、その時点で平和という概念は霧散霧消していく。平和主義者はそこが分かっていない。

たとえば、中国はチベットや新疆ウイグル自治区で少数民族を激しく弾圧している。さらに南沙諸島でも領土的野心を隠さなくなっている。インドとの国境でも衝突を起こしている。

中国は軍事費を増大させ、すでに膨張主義に突き進んで国際問題を引き起こしている国なのだ。こんなときに、非暴力主義や無抵抗の姿勢を見せていたら、「弱い」と認識されるだけなのだ。

抵抗しなければ、じわじわと侵略されて窮地に追いやられていく。平和主義者は「単なる無抵抗の弱者」と思われ、ますます強引に侵略工作が進んでいく。

もし、そんな中でも平和を叫びたいというのであれば、平和主義者は「中国に向かって」平和を叫ぶ必要がある。日本政府に向かって平和を守れと叫ぶのではなく、中国に向かってそれを叫ばなければならないのである。

これは、当たり前のことだ。中国は公然と軍事的行動を行って周辺国に懸念を与えているのだから、平和の尊さを思い出さなければならないのは中国の方だ。

平和を乱しているのは中国の膨張主義なのである。だから、憲法第九条信者は北京に行って、習近平に向かって「陸海空軍その他の戦力はこれを保持してはならないという憲法第九条を中国も取り入れよ」と抗議デモを行うべきなのだ。

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中国・韓国・北朝鮮に行って憲法第九条を叫べ

日本には憲法第九条がある。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」というものだ。

これは、もちろんアメリカが日本を弱体化させたままにするために日本に押しつけたものである。日本が弱体化したままの方が都合の良い中国・韓国・北朝鮮・ロシアは、だからこそ日本に憲法第九条を押しつけたまま、自分たちが軍事強国となって虎視眈々と日本を狙っている。

しかし、この憲法第九条が日本の主権を脅威にさらしているというのが事実なのであれば、もうこれを改憲すべきなのは当然のことである。侵略を仕掛けられるかもしれないのに、「戦力は保持しない」など言っている場合ではない。

もし、「憲法第九条という素晴らしいものを残したい」というのであれば、それは中国・韓国・北朝鮮・ロシアに押しつけるべきなのだ。

憲法第九条信者は、今こそ中国・韓国・北朝鮮に行って「お前たちは憲法第九条を取り入れろ」と叫ぶ必要がある。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持するな」と日本の仮想敵国に言わなければならない。

日本は改憲して核保有・軍事力強化をし、憲法第九条は周辺国に押しつけるのが「最も安全になる方法」である。

だから憲法第九条信者はすぐに日本を出て、憲法第九条を習近平に突きつけるのだ。中国大陸に降り立って、中国人民にそれを布教すればいい。あるいは竹島を不法占拠している韓国や、ミサイルを飛ばしまくっている北朝鮮で、「お前たち憲法第九条を取り入れて平和を守れ」と叫びに行くのも良いアイデアだ。

プーチン大統領に「憲法第九条を守れ」と言いに行くのはもっと素晴らしい。憲法第九条が素晴らしいと心情的に思い、そのために運動をするのであれば、まずは潜在的にこれらの国家に行って、命がけで布教するのが先だ。

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憲法第九条は周辺国に押しつけるのが日本にとって最も良い

まわりが軍事費を増大させたり核開発をしたりして凶暴化しているのに、自分だけが平和主義者になっても仕方がない。武力を放棄していいのは、侵略されないという環境にあるときだけだ。侵略される危険性があるのに武力を放棄するというのは、ただの馬鹿である。

日本の平和主義者は「戦争」と聞くと、ややもすれば自分が暴力を「振るう」立場の方をイメージするかもしれない。しかし、それは戦争の一面である。戦争が起きれば、暴力を「振るわれる」のである。

本土が戦場になれば、町が焼かれ、破壊され、自分が殺され、自分の妻や娘が集団レイプされるような激しい暴力が振るわれる。戦争の現場の凄惨さは誰もが息を飲む。いったん本土決戦になれば、暴力が容赦なく降り注いでくる。

誰もそんな悲惨な現場に立ちたくない。見たくもない。しかし、戦争を仕掛けられて反撃も何もできなければ、激しい暴力が現場に舞い降りてくる。自分の住んでいる場所が殺戮の大地になっていく。自分も家族も友人も知り合いも、みんな残虐な暴力の犠牲になる。

暴力は「振るわれる」ものであると想像して欲しい。自分の肉体が破壊され、ズタズタにされると想像して欲しい。自分の家族が皆殺しされるのが戦争だと想像して欲しい。

非暴力や平和主義が「単に弱い存在」と認識され、国に反撃の能力がなければ、平和憲法があろうがなかろうが、そんなことに関係なく暴力で叩き潰される。

現在、日本のまわりには、信用できない国がサメのように遊泳して隙あらば襲いかかる態勢になっている。こんな中で、無防備な平和主義を唱えることは、日本人の殺戮を誘導するものであり、ある意味それは殺人の共犯に近い立場であるということに気付くべきである。

戦争反対と言っていれば、平和になるわけではない。侵略が進む中での平和主義の押しつけは、ワナである。日本は改憲・核保有・軍事力強化をして憲法第九条は周辺国に押しつけるのが日本にとって最も良いのだ。

憲法第九条の使い方を変える。それは他国に押しつける戦略に転換するのだ。

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