自分に向いている「好きな仕事」で完全燃焼できている状態は最良の状態である。明日から「やりたくない仕事」を考えて憂鬱になるのであれば、明らかに向いていない。そうであれば、その仕事を惰性で続けて憂鬱な気持ちになるより、自分の好きな方面で生きていけるようにあれこれ試行錯誤する方がよほど有益だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
コロナ以前から離職率が最も高い職業は何だったのか?
コロナ禍による緊急事態宣言の発令で最もダメージを受けているのは「飲食サービス業」だ。ステイホームが強要され、街を往来する客が減り、政府が時短要請をする中で、多くの飲食店が追い詰められて潰れていった。
当然、飲食店で働いていた多くの人が失業に追い込まれている。しかし、思うことがある。コロナ以前から離職率が最も高い職業は何だったのかということだ。それはこの「飲食サービス業」である。
注文を聞いて料理を運ぶ。
料理を作る。
皿洗いをする。
それをひたすら繰り返す。この仕事は特別なスキルが要らないので入職率も多い。
厚生労働省『年雇用動向調査結果の概況』は「飲食サービス業」と「宿泊業」が一緒になっているのだが、「宿泊業」も客の泊まった部屋を片付けるのを朝から晩まで延々と続け、それを繰り返す仕事だ。
「宿泊業・飲食サービス業」は入職率は32%で他の職業から見ても圧倒的に多い。なぜ多いのかというと、「誰でもできる仕事」であり「特別なスキルが要らない仕事」であり「雇われやすい仕事」だからである。
しかし、離職率は30%である。次々と辞めていく。ちなみにすべての職業の離職理由で最も多いのは「定年・契約満了」を除くと、「労働条件が悪かった」と「収入が少なかった」が大多数を占めている。
この2つを合わせると「手っ取り早く誰でもできる仕事に就いたが、労働条件も悪く給料も低いので辞めた」を繰り返している人の姿が浮かび上がってくる。好きな仕事をしているのではなく、金のために仕事をして、待遇と収入に不満で辞めていく。
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嫌で嫌で仕方がないと思う仕事は、合っていない仕事
好きではない仕事、自分が関心を持てない仕事、嫌で嫌で仕方がないと思う仕事は、自分には合っていない仕事と言っても過言ではない。
そして自分に合っていない仕事は、それをいくら長くやっても身につかないばかりか、仕事がストレスとなって身体を壊したり、辞めたくて精神的に追い詰められたりする。
つまり、良いことよりも悪いことを招く確率が高まる。
人には当然のことながら、向き不向きがある。ある分野でどんな卓越した能力がある人でも、向いていないことをさせて成果が生み出せるとは限らない。
好きでなくて、関心が持てなくて、自分には明らかに向いていない仕事をするというのは、絶対にそれをうまくこなすことができないということだ。
その仕事が合っている人には無意識にうまくできることも、その仕事が合っていない人には相当な努力をしても身につくかどうか分からない。
探究心もなく、集中することもできず、嫌々やっているのだから、うまくできないのは当然のことだ。
仕事が合っている人はその仕事に向き合うことが楽しく、充実感を味わえる。しかし、同じ仕事をしても、それに合っていない人は、その仕事を向き合うことに対して苦痛しか感じないし、仕事が終わった後は深い疲労感にとらわれる。
合っていない仕事をするというのは、どんなに神経を張り詰めてそれをやっても、つまらないミスや失敗が積み重なる。そのため、本人が惨めになるだけでなく、まわりの人に迷惑をかけることにもなる。
本人が先天的にミスを繰り返しやすい性格であるというよりも、その仕事に対して集中ができないので、どうしてもミスを連発してしまう。
合っていない仕事を続けるというのは、そういうことなのだ。それは、やればやるほど自分を惨めにしてしまう。
だから、朝起きた時にどうしても仕事に行きたくないという絶望的な気持ちの方が強いのであれば、自分の将来のために、そして自分の心身のために、早いうちに辞める決断をした方がいい。
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目的を間違えるな。皿洗いの仕事が意味のある人もいる
本当に好きな仕事に取り組み、関心が持て、自分のやっていることに夢中になれるのであれば、収入が少なかろうが、待遇が悪かろうが、他人に馬鹿にされようが、その仕事を辞めたいという気持ちにはならない。
困難がやって来ても、踏みとどまって必死で生き残ろうとする。逃げようと思わない。仕事上で困難がやってくるほど、逆に生き延びようと必死で考える。
ただ日々の生活のために、関心もなく、どうでもいいと思っている仕事ではそうならない。すぐに逃げ出し、投げ出し、辞める。
そうした「自分にとって関心のない仕事」を延々と続けるのは合理的ではない。合理的ではないことは、それを続けると無理が積み重なるのでいずれ破綻する。
「やる意味のないことは、うまくやっても意味がない」とはよく言われるが、関心のない仕事に関わり続けるというのは、まさに「やる意味のないこと」なのである。
自分に関心のない仕事は、たとえそれが公務員でクビの心配がなくても幸せではない。逆に離職率が多い「飲食サービス業」でも、その仕事が好きで、そこに人生を賭けて、その仕事が天職に思っている人は幸せになる。
たとえば、誰もが嫌がる皿洗いの仕事でさえ、将来はレストランのオーナーになりたいという夢や希望を持っている人は、レストラン経営に付随する大切な仕事であるという意識が働いて、それをすることに深い意味や喜びを見い出す。
問題は、その仕事が他人から見て良いのか悪いのかではない。自分がどうなのか、というのが重要だ。自分にとって皿洗いが重要で、関心が持てて、好きでたまらないのであれば、それは良い仕事だ。
そうでなければ「自分にとって」悪い仕事だ。世間体が良くて、人がうらやむ仕事であっても、自分が嫌で仕方がなければ、それは「悪い仕事」になり得る。
一流企業の高収入サラリーマンでも、タレントやモデルのような人が羨む派手な仕事でも、本人に関心がなければ「悪い仕事」になる。
自分がそこに何ら存在意義が見出せず、空虚だと感じているのであれば、それは間違いなく良い仕事ではない。
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「好きな仕事」で完全燃焼できている状態は最良の状態
本当は何の関心も持っていないのに、その仕事を定年まで続けるというのは、一度しかない人生を捨てるのも同然である。確かにそれで生計は立てられるのだろうが、人はパンのみで生きているわけでもない。
好きな仕事が、向いている仕事であるとは必ずしも限らない。好きな仕事であっても向いていなければ成果を出すことはできない。
逆に向いている仕事であっても、それが好きではないのであれば、やはり成果を出すことはできない。長い目で見ると、本当に好きでやっている人には適わないのである。
だから、端的に言えば「自分が好きでたまらない分野で、しかも自分が向いている仕事を見つける」のが、いつでも重要なことなのだ。そんな仕事がなければ、自分がその仕事を「作る」ことさえもやるはずだ。これを「マネタイズ」という。
「四六時中そればかりやって他に何の関心もない」というものを持っている人は、やがてそれで生計が立てられるような「仕組み」を探して生きていけるようにマネタイズする。
現在はインターネット時代になっている。自分の「好き」を金に変える環境が生まれているので、マネタイズの環境は整っていると言っても過言ではない。
もちろん、今日思いついて明日から稼げるようになるわけではないが、それが好きで向いているのだから、マネタイズへの試行錯誤は苦痛ではないはずだ。
自分に向いている「好きな仕事」で完全燃焼できている状態は最良の状態である。明日から「やりたくない仕事」を考えて憂鬱になるのであれば、明らかに向いていない。
そうであれば、その仕事を惰性で続けて憂鬱な気持ちになるより、自分の好きな方面で生きていけるようにあれこれ試行錯誤する方がよほど有益だ。
それは簡単なことではないのは誰でも分かっている。だから「試行錯誤」なのだ。
今の仕事が自分の仕事ではないと思うのであれば、すぐに新しい人生を目指すべきだ。早ければ早いほどいい。「やる意味のないことは、うまくやっても意味がない」のである。