人間が生きている時間というのは限りなく長いように見えるが、計算してみると、実はそれほど長いものではない。正味1万日もない人生は刻々と消え去っていく。もしこの期間の間、自分がまったく興味や関心のない仕事に就いているとしたら、それだけで時間の無駄を重ねることになる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
今の人生でいいのだろうかと考える人も増えている
コロナ禍は、今まで何となく流されて生きていた人に一時的な「立ち止まり」を与え、そして考える時間を与えた。
人生は長いようで、それほど長いというわけではない。「光陰矢の如し」も「少年老いやすく学なりがたし」も真実だ。うかうかしていると人はあっという間に歳を取り、「あの時にああしておけばよかった」と後悔することになる。
ところで、人間の時間を浪費するのは「何もしないで怠惰でごろごろする無為な時間」だと考える人は多いが、本当はそうではない。実際に人間の時間を奪っているのは「怠惰な時間」ではないのだ。
誰もが分かっていて目をつぶっていること。それは、「労働」が自分の人生の時間の大半を奪っているということだ。特に日本はその傾向が強い。
なぜか。日本は会社に忠誠を尽くしているのかどうかを残業時間で測って、残業時間が長い社員を「忠実な社員」と見て引き立てていく傾向が今もあるからだ。出世したければ滅私奉公しなければならない。それが長時間残業の常態化を生み出している。
少しでも出世したいと考える人間は進んで社畜になる。そして「残業は当たり前、サービス残業も厭わない」という人間も出てくるようになる。社畜が増えると残業代を払わなくても働くので会社も助かる。
この文化が定着しているので、日本の企業は長時間残業をさせて残業代も払わないような企業が続出するのだ。そして、日本人は人生において自分の時間をほとんど持てないまま消耗していく。
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日本企業の労働生産性は1970年以降ずっと最下位である
能力ではなく、滅私奉公の度合いで社員を推し測る。それは日本企業の特徴だ。だから日本企業の労働生産性は2017年の調査でもOECD加盟国36ヵ国中20位、主要先進7ヵ国の中では、1970年以降ずっと最下位となっているのである。
日本で長時間残業が減らないのは、社畜を作り出すと同時にコスト削減も実現するためである。それは意図的にやっている。
企業はすでに国境を越えて活動しており、安い賃金でも働く労働者が世界中にいることを知っている。途上国に行けば、安い給料でも雇いきれないほどの人たちが職を求めて殺到する。安い働き手はいくらでもいる。
本来であれば、日本人の労働者に対しては賃金を「もっと下げる」か「徹底的にリストラするか」が合理的経営となる。しかし、日本社会では、下手に賃金を下げたりリストラしたりすると社会的に批判を浴びる。
だから、日本企業は「残業代なしで長時間残業」させて帳尻を合わせる。それが「日本人を雇う秘訣」だった。残業代なしの長時間労働は、見えない賃金引き下げなのである。
政府は経営者に従業員の賃金を上げるように要請している。しかし、経営者は会社を高利益体質にするために、今後もあらゆる手段で従業員の賃金を下げるか、リストラが容易になるように非正規雇用を増やしていく。
そうでなければ、「安く働く外国人労働者」を雇い入れて、日本人よりも外国人に働いてもらうような動きをしていく。
実際、今の日本は途上国の若者を留学生・技能実習生・単純労働者・インバウンドという形で連れてきて、低賃金・悪条件で働かせている。飽くなき利益を追い求める企業は、コロナが落ち着けばより大規模にそれを行うだろう。
このままでは多くの日本人が、日雇い労働も同然の待遇と賃金になっていく。さすがに多くの日本人は今の企業のやり方に疑問を持ち、「今のままでいいのか?」と立ち止まって考えるようになっている。
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正味1万日もない人生は、無駄にすると刻々と消える
人間はどうあがいても一度しか生きることができない。しかも寿命はだいたい決まっている。人生が約80年だとすると、人間が生きることができる日数は、実質的に、2万9200日しかない。
しかも、これは80歳まで生きると仮定したときの話であり、ゼロ歳からの計算である。この文章を読んでいる人はすでに成人である可能性が高いので、実際には2万日も残っていない人の方が多いはずだ。
ここからさらに寝ている時間や、通勤時間や、暇つぶしする時間をあれこれ差し引くと、だいたい正味1万日ほどしかないのではないか。
人間が生きている時間というのは限りなく長いように見えるが、計算してみると、実はそれほど長いものではないというのが分かってくる。正味1万日もない人生は、刻々と消え去っていく。
もし、この期間の間、自分がまったく興味や関心のない仕事に就いているとしたら、それだけで膨大な時間の無駄を重ねることになる。
10年も20年も関心も興味も生き甲斐も未来もない仕事に就いていると考えて欲しい。仮に20年もそんな仕事に就いていたら、7300日が無駄だったということになる。1万日から7300日が無駄になったら、残りは2700日しかない。
長い人生の大部分が無駄になる。
だから、基本的に自分が関心も興味も持てないような仕事にいつまでも就いているというのは、「人生史上、最悪の間違い」であると言うことができる。どの仕事に関心が持てるのかというのは、他人が決める問題ではない。自分が決める問題である。
自分に合っていないし、興味もないし、ストレスしか感じないような職に就いているのであれば、それがどんなに給料が良くても、世間体が良くても、それは最終的に自分の仕事ではない。
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コロナ禍の今が、人生を変える大きなチャンスになる
非正規雇用の常態化、そして外国人労働者の大量流入。こうした動きの中で、サラリーマンという職業が不安定化している。
しかし、サラリーマンをやっている人の多くは仕事に満足しておらず、最初から「生活の糧」のためにやっていたのではなかったか。したくもない仕事を、ただ「一生を保障してくれるから」という理由だけでやっているのではなかったか?
もちろん、サラリーマンという仕事にやり甲斐と満足があって、これこそが自分の生きる道だと考える人もたくさんいるだろう。自分が満足しているのであれば、何の問題もない。サラリーマンを続けるべきだ。
しかし、満足していないのであれば、いよいよこの職業から去ることを考える時期に来ているのではないだろうか。
それが自分の人生に実りを与えるものではないと分かっていながら続けるのは、人生を賭けて無駄な投資を続けているようなものだ。無駄な投資はいくらそこにカネを注ぎ込んでも、まったくリターンを生み出さない。関われば関わるほど損失が膨らみ、最終的には人生を破壊する。
自分にとって何が重要か、何が重要でないかは、他人にはまったく分からない。それは自分しか判断ができないものだ。他人にとっては有意義なはずだと思われている職業であっても自分にとって無駄だと思えばそれは無駄なのである。
自分が自分の人生の何に投資するかは、自分が最も夢中になれるものであるべきで、そこに他人の意見や見栄や外聞を持ち込むべきではない。これができるかどうかで、自分が生まれてきたことに価値があるかどうかが決まる。
自分のしたいことに邁進し、その中で生きていけるのであれば、それが最も充実した人生であると言うことができる。
コロナ禍を経験して、多くの人が「流されて生きていた人生」を振り返る時間を得られるようになっている。熟考する中で「本当にやりたいことは別にある」と思うのであれば、今が人生を変える大きなチャンスになるのではないだろうか。
実際に人間の時間を奪っているのは怠惰な時間ではない。やりたくもない仕事なのだ。それを、よく考えて生きるべきだ。