先進国では、それなりに社会保障も行政も福祉も行き届いているので、失業したからと言って明日から飢えて死ぬような目に遭うことはない。失業保険もあれば生活保護もある。
しかし、生活を維持するためには必要最小限では困る。それで多くの人が「稼ぐために必死で生きる」ことになる。
生きるために必死で稼ぎ、稼ぐために必死で生きる。いずれにしても、資本主義の世の中では、何らかの「稼ぎ」がないと生きていけない。
稼ぐと言っても、何らかのビジネスを考えて起業して生きていける人は少数派だ。起業は10年以内に90%が失敗すると言われているが、どんな業種であれ自らの力で生きていくというのは至難の業である。
だから、多くの人は「誰かに雇われて働く」ことを選択する。なぜなら、それが最も確実に、そして安定的に収入が入ってくるからだ。
日本人は働いている人たちの8割はサラリーマンなので、別の言い方をすると、8割の人が誰かに雇われて生きているという言い方ができる。
しかし、そのサラリーマンの6割はメンタルに問題を抱えているわけで、日本人が嬉々としてサラリーマンをしているわけではないのは分かっている。
会社に忠誠を誓ったところで報われない時代がきた
本来であれば、働き方というのはいろんな方法があり、サラリーマンというのは無数の働き方の中の1つに過ぎない。
しかし、サラリーマンになるというのは日本では絶対的な選択で、それに疑問を抱かない人も多い。まるで何かに誘導されたかのように、みんなまとめてサラリーマンになる。
この生き方をすると、会社や上司に自分をコントロールされることを余儀なくされる。命令には従わなければならないし、自分の意見とは違う意見に従わなければならないし、不満があっても耐えなければならない。
しかし私たちは金が必要なので、金をもらうために、他人が自分を支配するのを許す。それが、雇われて生きるという生き方の本質だ。
以前、「社畜」という自虐的な言葉がサラリーマンの間で広く使われた。それは、「会社に飼われている家畜」が自分たちの正体だという自虐だった。
2000年代からグローバル化が進み、企業が社員を「コスト」呼ばわりするようになってから、自分が「社畜」ではないかと思うようになった人たちも増えていく。
年功序列で終身雇用があった時代は会社に忠誠を誓っていれば報われた面もあった。
しかし、2000年代に入ってリストラも非正規雇用による使い捨ても恒常化すれば、会社に忠誠を誓ったところで報われるのかどうか分からない。
滅私奉公しても使い捨てされるのであれば、自分が社畜だと思うようになっても当然だ。実際、鬱病もグローバル化が加速する2000年代から爆発的に増えた。
鬱病については興味深いデータがあって、男性は働き盛りの30代~50代が鬱病のピークで、社畜から解放される60代になると急激に減る。
これは、いかに雇われて生きるというのがストレスなのかを示している。
本来、誰かにコントロールされながら生きるというのは窮屈な話だ。いかに雇われて生きることにストレスを感じているかが、データを見ていると窺い知れる。
ところが、それでも多くの日本人は学校を卒業したら、何の疑問もなくサラリーマンになっていくのである。
「学歴社会」は企業が私たちに仕掛けた支配構造
企業が従業員を使い捨てするようになって、日本の労働環境は悪化し続けている。しかし多くの人々は、その生き方について疑問を抱くことは少ない。
自分が誰かに支配されていることや、奴隷的な境遇にあることや、資本主義の正体や、社会が自分に押し付けている仕組みについて、絶対に考えない。
これらは自分の一生を支配している「本質」なのに、それについてはまったく考えないのである。なぜか。実は「考えさせない」という仕組みが作動していたからだ。
社会は、わざと私たちが「本質を考えない人間になる」ような社会的な仕組みを作り上げていたのである。
私たちは、毎日毎日いろんなことを考えていると思い込んでいるが、実はその多くは日常的な些事をどうするか考えているだけで、「本質」は考えていない。
たとえば、「学歴社会」というのは、企業が私たちに仕掛けている支配構造ということに気付いている人はほとんどいない。
・企業団体が教育制度を提言する。
・教育庁・学校がそれに従う。
・教育で企業に都合の良い人間ができる。
・都合の良い人間は学歴でレベル分けできる。
・企業は学歴の良い順番から採用する。
企業が自分たちの都合の良い人間を作り出して、それを学歴という形で見えるようにして、学歴の良い人間、すなわち自分たちに都合の良い人間を採用する仕組みにした。
企業にとって都合の良い人間というのは、規則でガチガチになった学校というシステムに耐え、得意を封印されて普通になり、苦手を底上げされて普通になり、団体行動を順守することを覚えて規格品のように平均化された学生たちである。
企業が平均化の学生を好むのは、いくらでも取り替えが利くからである。歯車のように会社の一部門にはめ込みやすく、壊れたら歯車のように部品を取り替えて使える「規格品」が求められている。
規格に合っているかどうかを学歴で見る。だから、「学歴社会」というのは企業のためにあったのだ。ちなみに教育制度の提言という形で強い影響力を行使しているのが「経済団体連合会(経団連)」である。
「社畜」になるように教育されていたと気付け
学校をドロップアウトした若者はなぜ就職に困るのか。それは企業が雇わないからだ。なぜ雇わないのか。それは自分たちが提言した制度に従わなかった学生だったからだ。
すなわち、彼らは規格品にならなかった。別の言い方をすれば「不良品」だった。だから、学校の教育や方針に逆らう学生を「不良」という。
企業は規格品を求めているので不良品は弾く。これが常態化した社会が「学歴社会」である。「自分たちの決めたルールに従えないような学生は、一生食えないようにしてやる」というのが学歴社会の本質だったのだ。
学校を卒業して社会にでた若者の中には、自分たちが社会に出て、実は学教教育の中で重要なことが何も教えられてこなかったことに何となく気付く。
「社会の仕組みを教えてもらえなかった」
「起業の方法を教えてもらえなかった」
「世渡りの方法を教えてもらえなかった」
「自分らしく生きる方法を教えてもらえなかった」
しかし、なぜ「教えてくれなかったのか」と考える若者はほとんどいないはずだ。当然だ。支配者が支配される人間に自分たちの意図を教えるわけがない。
社会の仕組み、起業の方法、世渡りなどを教えないのは、日本の教育は最初から社畜を作り出す教育に特化しているからである。
学校は、子供たちを社畜にするための教育場所だから、それ以外のことは教えないことになっている。
さらに、社会に出ても、自分が社畜であることを考えさせない仕組みができている。それが「娯楽」というものだ。
「セックス・スクリーン・スポーツ」は、今は「ポルノ・テレビ・ゲーム・スポーツ」と言い替えた方が通じる。なぜ、これらが蔓延しているのか。
こういったものはすべて「自分は社畜であること」を忘れさせるためにある。かくして企業は、大量の考えない人間を機械の歯車のように手に入れて、使い捨てすることができるようになっている。