生活保護の受給者は、2017年11月の時点で164万2971世帯となっており、過去最多記録を更新していることを厚生労働省が発表している。
生活保護の受給者がこれからも増えることは確実視されている。その理由は明らかだ。日本はこれから高齢化がさらに進んでいく社会になるからだ。
実際、年代別で分けた生活保護受給者の割合を見ると、50%以上は「高齢者世帯」である。増え続ける生活保護の問題とは、形を変えた高齢化の問題である。
「生活保護受給者が増えた」と言えば、多くの人は何となく「景気が悪いのか?」と思うのだがそうではないのだ。景気の良し悪しとはまったく関係がないところで受給者が膨れ上がっているのである。
高齢層は年齢から来る体力の衰えや能力の減退から、すでに働けなくなっていることが多い。節約につぐ節約に明け暮れて、細々と暮らしている。
そのため、少しでも税金が上がったり、インフレになったり、生活費がかかったりすると、その「わずかな値上げ」が生活を圧迫し、致命傷になってしまう。それが、生活保護受給者の増加という形で現れている。(鈴木傾城)
絶対に必要なものであるが、不正受給も増えている
すでに所得を得ることができない高齢層や障害者、あるいは追い詰められたシングルマザーたちにとって、生活保護というのは最後のセーフティーネットである。
このセーフティーネットがあるからこそ、何とか生きながらえている人もいる。人は誰でも順風満帆で生きられるとは限らないし、期せずして社会の底辺に転がり落ちてしまうことさえ珍しくない。
「絶対に自分は生活保護なんかに頼らない」と考えて慎重に生きている人がいるとしても、苦境に落ちないという保障はまったくない。人生は何があるのか分からない。
自分が、あるいは自分の妻や子供が難病になったら、働けなくなって収入を失う上に、医療にかかる費用で想定外の出費を余儀なくされるかもしれない。
1000万円や2000万円程度では、1年で消し飛ぶような難病も珍しくない。臓器移植を必要とする治療では、億単位の金が必要になることもある。
病気が治ったら、病み上がりで一文無しという状況になるのは珍しくないのだ。
自分がそんなことにならなくても、自分の両親や兄弟や祖父母が、そして自分の友人がそうなるかもしれない。そんな時、セーフティーネットとして生活保護というシステムがあるのとないのとでは、まったく違う。
生活保護というシステムは、自分だけでなく、自分の大切な人が万一何かあった時のことを思えば、絶対に必要なものであると理解できるはずだ。
ところが、増加していく一方の生活保護に合わせて、生活保護費の不正受給も同時に増えている。
2018年1月24日、厚生労働省は2016年度の生活保護費の不正受給が過去最悪を更新したことを発表していた。
発覚しただけでも不正受給は4万4466件もあり、働かないで金をせしめようとあれこれ画策する悪人は決して少なくない。
不正受給する悪人たちに騙されたくないという心理
2018年5月21日も、ギャンブル狂いの男が収入があったにも関わらず生活保護を受給していたとして逮捕される事件が起きたばかりだ。
この男とは逆に、本当は働けるのに働かず、あれこれ理由を付けては生活保護費を受給し、その日のうちにパチンコ店に行って蕩尽してしまう人もいる。
あるいは、他に仕事を持っているのに、その所得を隠して生活保護を不正受給している人もいる。
また、生活保護は日本人のためのものなのに、なぜか外国人が生活保護費を受け取って、悠々自適で遊んで暮らしているケースもある。
生活保護というシステムは、本来は弱者救済のために非常に大切なものである。それなのに、「もう生活保護という制度は止めてしまえ」という声が周期的に湧き上がるのは「悪人」がいるからである。
不正受給で潤っている「悪人」がいる。
水商売で毎月100万円近い収入があるのにそれを隠して生活保護を受給していた女性もいれば、他に収入があってポルシェに乗って生活保護を受給しに来る人間もいる。
こうした話を聞いて憤りを感じない人はいない。
生活保護の原資は税金である。普通の真面目な人たちが、必死で働いて得た給料から税金は引かれている。
その税金を、働けるのにわざと働かないような悪人に右から左に流れ、彼らの方が良い暮らしをしていると知ったら「いい加減にしろ」と憤って当然だ。
生活保護がニュースになると言えば、こうした詐取のニュースばかりである。だから普通の人が怒り心頭に発して「生活保護なんか廃止してしまえ」と言い出すことになる。
不正受給者たちのために、生活保護を受給するというのは、非常にイメージが悪いものになってしまったのだ。
不正受給された187億円で6233人が助かることになる
本当は受給する資格のない「悪人」どもが、次々と生活保護を毟り取っていく。そのため、生活保護を受給している全員が、あらぬ偏見の目で見られるようになっていく。
本当に必要なのに、「不正受給しているのではないか」という猜疑の目で見られるようになってしまうのである。
また、生活保護の受付担当やケースワーカーも、こうした不正受給者たちに何度も裏切られることによって傷つき、同情よりも厳しい目で受給に来た人たちに接するようになっていく。
何度も何度も不正受給に接していると、次第に救済したいという気持ちよりも、悪人に騙されたくないとか、不正を見逃したくないという気持ちになっていくのだ。
誰でも弱者を助けたいという気持ちがある。しかし、同時に誰でも悪人たちには騙されたくないという気持ちもある。現場で税金を采配する立場であれば、なおさらだ。
生活保護の財源は無限ではない。だから悪人がひとり不正受給すれば本当に必要な人がひとり犠牲になる。
不正受給はされる前に見抜いて追い返す必要がある。
そのため、現場では本当に生活保護が必要なのか、申請に来た人を問い詰めるような形になってしまっても不思議ではない。少数の悪人たちのために生活保護を受給するためのハードルも上がっていく。
生活保護にたかる悪人をのばらせるというのは、本当にそれを必要とする弱者がそこから漏れるとういことなのだ。
その結果、本来は生活保護を受けなければならない人が餓死したり、子供を餓死させたり、子供と一緒に心中したりしなければならなくなってしまう。
申請者を厳しく査定すれば、悪人も排除できる。しかし、その厳しさに臆して生活保護を諦める人も増えていく。かと言って、申請者に対して甘くすれば、救える人もいるのだが、生活保護にたかる悪人もまた増えて収拾がつかなくなる。
そういったせめぎ合いのところで生活保護というシステムが成り立っている。
生活保護の申請者はこれからも増えるのは確実だが、行政の方は人員を増加させるのは難しく少ない人数で大勢をさばかなければならない状態になる。
不正が増えてシステムの侵食が目立つようになれば、システムはいずれ瓦解する。生活保護がこのまま蝕まれていくのか、それとも水際で不正が防げるようになるのか、それによって貧困層の運命は大きく変わる。
ひとつ言えることがあるとしたら、このままでは遅かれ早かれ生活保護というシステム全体が崩壊してしまうということだ。悪人に食われっぱなしなのであれば、崩壊はそんな遠い未来の話ではない。(written by 鈴木傾城)
