実質賃金とは「賃金額を物価指数で割った値」を指し、本当に賃金が上がったかどうかを推し測るものだ。
たとえば、賃金が1%上がっても、物価がそれ以上に上がっていたら賃金は上がったとは言えない。実質賃金はそのあたりを調整して、本当に賃金が上がっているのかどうかを見る指標である。
実質賃金が上がるというのは良いことだ。だから、どこの国も実質賃金が上がると「政府の施策が良かったからだ」と大いに喧伝される。もちろん、日本でもそうだ。
しかし、「実質賃金」という指標には、とんでもない落とし穴がある。
賃金が変わらなくても、実質賃金が上がる事象もあるのだ。それはどういうことか。賃金の上昇率が0%であっても、デフレで物価がマイナス2%になっていたら、実質賃金は上がることになる。
多くの人たちが考える実質賃金の上昇というのは、「物価が上昇しても賃金がそれ以上に上昇する」ものを想定しているわけで、「賃金は上がっていないが、物価が下がったので賃金が上がったと見なす」では意味がない。
このような「落とし穴」は他にもある。
コストを上昇させないで賃金を上げるトリックとは?
たとえば、どこの国の政府も、常々「社員の賃金を上げろ」と企業に要求する。
政治が要求して賃金が上がったということになると、現政権がそれを成し遂げたと自画自賛できるし、それによって支持率も上がるからだ。
しかし一律に賃金を上げると、大企業はコスト負担が上昇して損することになる。政治の要請を無視すれば叩かれる。馬鹿正直に従っていると価格競争に負けて会社が傾く。
だから、企業は政治の要請を受け入れつつ、コスト負担にならない対策を取る。対策と言っても、単純な話だ。
(1)社員を減らしていく。
(2)残った社員の賃金を少し上げる。
(3)非正規雇用者を増やしていく。
(4)非正規雇用者の賃金はそのまま。
こうすれば、「賃金を上げました」と政府に報告することができる。賃金を上げた分だけ人を減らし、減らした分は非正規雇用にしておけば、企業はコスト負担にならない。政治も満足する。
リストラされて路頭に迷った人間はもう社員ではないので、この人たちが仕事が見付からずに低賃金の仕事に就こうが、生活保護受給者になろうが企業は関係ない。
そういうことなのである。
しかも、企業は社員の賃金を上げるとき、所定内給与を上げるのではなくて手当を上げるようにする。そうすれば、何かあれば手当をざっくり削減して逆に賃金を下げることも可能だ。
2017年5月23日に厚生労働省が実質賃金が上がったと報告しているが、別に喜ぶべきことでもない。総務省の方は5月30日に「実質消費支出は前年同月比1.4%減少し、14カ月連続のマイナスになった」と言っているではないか。
さらに総務省の労働力調査では、「雇用は改善しているが、増加幅は非正規が正社員を大幅に上回った」と言っているではないか。非正規の賃金は上がらないし、少しでも不況になればすぐに仕事は消える。そういうことだ。
「求人倍率はバブル期超え」にも落とし穴がある
賃金は上がらないし、雇用も不安定化したままだ。そうなると、どうなるのか。もちろん、消費は減退する。実質消費支出が14カ月連続のマイナスというのはそれを指している。
物を買う金が減るのだから、買い物を減らそうと思うのは誰しも当然のことである。こういった消費の減退は、後になってじわじわと現れていく。
そうなると、どうなるのか。商品が売れない企業は結局のところ、価格を下げることを余儀なくされる。
そうやって追い込まれた企業が売れないので値下げをしているのだから、利益が下がった分を「社員の削減」でカバーしようとする動きが裏で進む。
「いや、求人倍率はバブル期超えと報道されているではないか」という声もある。
確かに、厚生労働省が2017年5月30日に発表した有効求人倍率(季節調整値)は1.48倍であり、バブル期の最高値である1.46倍を上回っている。
ところが、この「求人倍率はバブル期超え」もまた、落とし穴があるのである。
どういうことか。日本はもう何十年も少子高齢化が進んで国家的な危機にあるのだが、いよいよ高齢化も少子化も極まって、求職者が減り、その結果求人が同じであっても求人倍率が上がるという皮肉な世界になっているのだ。
「景気が良くなったから求人倍率が上がった」のではなく、求職者が減ったから求人倍率が上がったように見えるだけだったのだ。結局、求人倍率もまた本来の期待とは違う上がり方をしている。
だから、「実質賃金が上昇している」とか「政府の賃金の引き上げ要請に企業が応えた」とか「求人倍率はバブル期超え」という上辺だけを見ていると、世の中が分からなくなる。
「景気が良い話があるのに、なぜ実感できないのか」という理由がここにある。
すでに、あちこちで火の手が上がっている
物事は何でもそうだが、世の中が悪くなっていくときは、全員が等しく悪くなるのではなく、底辺にいる人たちから先にポロポロと切り落とされて堕ちていく。
だから、社会の底辺が次第に広がっていても、自分がそこに堕ちていないので「まだ大丈夫」と堕ちていない人は思う。だから、自分が社会の落とし穴に堕ちてから、はじめて世の中がどうなっているのか、その現状に気付くのである。
日本社会での弱者はシングルマザー・障害者・高齢者だが、こういった世帯が最初に立ちゆかなくなっているのは、見ての通りだ。
こうした人たちが最後に頼るのは生活保護である。だから、生活保護の受給者は今後は増えることがあっても、減ることは絶対にない。
不正受給の問題もあるが、本当に必要としている人たちが生活を破綻させて受給するのだから、いくら不正受給を取り締まっても生活保護受給者が長期で減少することは決してない。
統計上では、短期での減少はもちろんある。しかし長期で見ると、もはや手に負えないまでの増加になっていく。
年金も下がる。国家財政の赤字は膨れ上がる一方で、政府も払うものが払えなくなるからである。
厚生労働省がすでに2014年5月3日に公的年金の財政検証結果を公表して、「40年後の年金給付の水準は今より3割から4割は目減りする」と、何気なく発表している。
あくまでも試算なので、数字自体が適当なものなのだが、年金制度が揺らいでいるということ事態は事実である。このままでは、もう日本人は悠々自適な老後などあり得ない。
このまま何とかなると思ってはならない。もう何ともならない時代に入った。今の生活はゆっくりと、しかし確実に足元から切り崩されて、成り立たなくなってしまう。
生活保護受給者増加を見ても分かる通り、末端から生活が壊れ続けている。私たちはもっと真剣に考えなければ、生きることさえままならない極限に追いやられてしまう。すでに、あちこちで火の手が上がっている。