サービス残業、過重残業、過労死に追い込まれていく時代だ

サービス残業、過重残業、過労死に追い込まれていく時代だ

日本人の8割はサラリーマンに落ち着くのだが、日本人の全員がサラリーマンで満足しているわけではないのは確かだ。

多くの日本人は何も考えずに義務教育を経て、大学に行ってサラリーマンになる。本人がそうなりたいと思ってサラリーマンになっているわけではない。

親、教師、友人が、みんな寄ってたかって「それが普通だ」というので、ただそれに乗っているだけなのだ。4月になれば多くの若者が何も考えずにサラリーマンになるが、本当にそれでいいのだろうか?

もう時代が変わっている。グローバル化が浸透した結果、日本人の終身雇用の時代は終わり、今までの生き方は通用しなくなっていった。これからは、もう会社に頼って生きていけない時代に入っている。

「ひとつの会社で勤め上げる」という生き方が通用しないのである。また、長くいたから給料が上がるという時代でもなくなっている。年功序列も消えた。

むしろ40代、50代になったらリストラされたり、関連会社に出向させられたりして給料は激減する可能性が高くなっている。それで給料が下がっても、「働けるだけマシ」というのが現実の姿だ。

相対的に見ると、給料は下がっている可能性が高い

大企業だろうが、中小企業だろうが、事情は変わらない。

かつては大企業に所属していれば、それだけで勝ち組であると世間は捉えていた。しかし、今は大企業でさえ経営を間違うと瞬時に会社が傾く。

シャープや東芝の惨状を見れば、もう大会社だから安心であるという時代もとっくに過ぎ去ったことに気付くはずだ。昔は会社が傾いても社員の雇用を死守したが、今では少しでも経営が傾くとリストラする。

パナソニックもリストラをして生き残ったのだが、再び業績が悪化したのでまたリストラをすると言われており、社員が震え上がっている。

こういった状況を見ても分かる通り、「サラリーマンでいる」というのは非常に大きなリスクであって、そのリスクは日増しに大きなものになっていく。

サラリーマンの給料がこれからも徹底的に抑えられるのは、全世界の企業が全世界の市場を相手に、激しい価格競争をしているからだ。

かつては、どこの国も競争と言えば「自国内で自国企業との競争」であった。しかし、今や途上国から激安の製品がなだれ込んで来る時代となっている。

そのような海外から来た企業との価格競争に対抗するためには、コストとなっている人件費を極限まで削減するしかない。

かくして、どんなに社員第一の会社でも給料削減をするようになる。

しかし、社員は給料を下げられたらたまらないので、何とか給料を維持しようと、あの手この手で生き残りを計る。その中で、誰もがやるのは「残業代を稼ぐ」という方法である。

仕事をしようがしまいが、とにかく残業をすれば金が入る。となれば、金の必要な社員はいつまでも会社に残ってぶらぶらと時間つぶす。

40時間どころか、必要もないのに70時間も80時間も残業して、残業代を稼ぐ社員もたくさんいる。

もちろん、会社もそんなことは承知しているので、いろんな理由を付けて残業代を出さない仕組みを作り上げる。

給料を下げることができるものには何でも飛びつく

ブラック企業、サービス残業、過重残業、過労死は、言葉は違うのだが、そのどれもが社員を命がすり切れるまで使うことで生まれている現象だ。

会社にとっていいのは、残業代を払わないで社員を極限まで働かせることである。だから、会社はあらゆる機会を見付けて社員の残業代を払わない方向で動く。

そういった制度も推し進めていく。

残業代を払わないで社員を極限まで働かせる仕組みのひとつとして、いずれは「ホワイトカラー・エグゼンプション」も取り入れられるだろう。

ホワイトカラー・エグゼンプションとは何か。これは、「一律に時間で成果を評価することが適当でない労働者の勤務時間を自由にし、有能な人材の能力や時間を有効活用する」という説明がなされている。

分かりやすく言えばこうだ。

「ホワイトカラーは時間で成果は計れない。残業したかどうかは成果に関係ない。だから、残業代は払わない」

当初は年収1000万円以上の人に適用するという話でホワイトカラー・エグゼンプションは取り入れられることになる。しかし、いったん導入されれば、なし崩しに低い年収の人間にも取り入れられることになっていく。

企業は社員の給料を劇的に下げたいという目的がある。

そこで、非正規雇用の拡大から、子会社出向から、ホワイトカラー・エグゼンプションまで、給料を下げることができるものには何でも飛びつく。

ホワイトカラー・エグゼンプションの導入に失敗したら、また何か違うものが出てくる。こうした動きは手を変え、品を変えて、これからも延々と続いていく。

とにかく企業は何が何でも賃金を引き下げたい。コストを削減して、身軽になりたい。そのために、ありとあらゆる機会を捉えて「給料引き下げ」に邁進する。

思考停止のままでいると、世の中から取り残される

実力主義というのも、実力のある人間を見付けるものではない。「お前は実力はない」と言って給料を引き下げるためのものである。勘違いしてはいけない。

成果を出しても「お前よりも、もっと成果を出した人間がいる」と言って、わざと成果を認めなければ、給料を上げる必要もない。

サラリーマンを続けるというのは、よほどのエリートでもない限り、今後はリスクになるというのはそういうことだ。サラリーマンは、単なる使い捨ての労働者になるのだ。

グローバル化の流れが日本に上陸したとき、日本人はそれに気づくべきだった。

しかし、日本人の大半は「サラリーマンを真面目にしていれば何も考えることはない」と思考停止状態にあった。その結果、サラリーマンをして首が絞まる時代になったのである。

サラリーマンを続ければ続けるほど困難に転がり落ちるという世の中に向かいつつある今、もうそろそろ日本人も、サラリーマン一辺倒の生き方を見直すしかなくなっている。

サラリーマン以外に、どのような収入を持つことができるのかは、人それぞれの才能や能力によって違ってくるので、自分にできることを真剣に考えなければならない。

考えて、実行して、検証して、継続する。

会社に所属しながら、自分が真に自立できるように動いてもいい。いっそのこと会社を辞めて我が道を行くのもいい。どのみちサラリーマンでいてもじり貧になるのだから、いつかはやらなければならないことなのである。

世の中はどんどん変わっていき、思考停止状態のまま生きていると、自分だけが取り残されて、最後に救いようがなくなってしまう。

年金も、生活保護もあてにならない。誰も助けてくれない。だとすれば、自分の身は自分で助けるしかない。「サラリーマンになる」「サラリーマンを続ける」という選択肢は見直す時期にきている。

思考停止状態のまま生きていると、自分だけが取り残される。先が見えているのに、本当にこのままでいいのだろうか。

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