阪神・淡路大震災が起きたのは1995年1月17日だった。すでに20年前の話になる。この地震は都市を直撃して死者6434名、行方不明者3名、負傷者4万3792名を出す大惨事となった。
この地震以降、日本では様々な地震予知が研究されてきたが、それでも巨大地震を事前予知できず、2011年3月11日の東日本大震災を迎えた。
この地震では死者1万5889人であり、阪神・淡路大震災を超える悲惨な震災となった。
日本は地震大国であり、もちろんこれで震災は終わったというわけではない。私たちは日本に住んでいる限り、いつでも次の巨大地震に見舞われてもおかしくない。
残念ながら、それは予知できないと考えた方が早い。人間の予測は完全ではない。科学も万能ではない。
地震が起きる要因は1つ、2つではないのだ。膨大な現象がすべて積み上がって、その結果として生まれてくる。地震が予測できないのは、すべての要因をインプットできないからでもある。(鈴木傾城)
「必ず来るが、いつ来るのか分からない」が事実
いつの時代でも人間は自然環境を予知しようと努力しながらも、不意打ちを食らって被害を出している。
日本は地震大国でデータがたっぷりあるはずだが、それでも地震予知はできていない。
ちゃんと予知できていれば、阪神・淡路大震災も東日本大震災も、これほどの被害を出さなかった。前もって警告があれば助かった命もある。
「大震災は来る」と常に言われていた。しかし、やはり予知ができていないのである。分かっているのは「必ず来るが、いつ来るのか分からない」ということだ。
そして、現に日本では国家を揺るがすような史上最悪の大地震を2011年3月11日に経験した。「いつか来る」と言われていたものが「来た」のである。
自然災害は地震だけではない。しかし、場合によっては日本を崩壊させるほどのインパクトがある「今そこにある危機」は、やはり地震であると言える。
問題は、常に予期せぬ場所で、予期せぬ規模の自然災害が起こることだ。阪神・淡路大震災も東日本大地震もそうだった。
予期しているところ、あるいは予知・予言されているようなところにはあまり来ない。まったく予期せぬ日に、予期せぬ場所で、不意打ちにやって来る。
阪神・淡路大震災が来るまで「関西は大地震が来ない」と言われていたのを覚えている人もいるはずだ。大地震は関東を直撃すると思われていた。それが、よりによって関西の方に来た。
地震大国日本では、どこが安全なのか危険なのは、誰にも分からないのである。逆に言えば、次の大地震も予告なしに、意外な場所で起こる可能性も捨て切れないということも言える。
次の震災に巻き込まれることが予告されている
では、「いつ来るか分からないが、必ず来る」というのは、とても不気味な未来予測ではある。私たちは間違いなく、次の巨大な震災に巻き込まれることが予告されているようなものだからである。
2012年8月29日、内閣府は太平洋南海トラフを震源とする地震が起きた場合、死者は最大32万人に達するという想定を出している。(ダークネス:東日本大震災の21倍。32万人が死ぬという南海トラフ巨大地震)
このような地震が30年の間に80%の確率で来るとも言われているのだが、誰もそれを妄想だと一笑に付すことができないのが日本の現状でもある。
2018年3月は新燃岳(しんもえだけ)が突如として噴火しているが、日本には活火山が110近くもある。
富士山ですらも、れっきとした活火山であり、最近は富士山近辺で不気味な胎動があるという報告も相次いでおり、関係者を緊張させている。
富士山が大爆発したら東京は壊滅すると言われているが、東京が壊滅するということは、日本経済が壊滅するということでもある。
富士山の爆発も、もちろん大地震が引き金になる可能性もあるわけで、そういった意味で、大地震はいつでも日本を崩壊させる危険性がある。それなのに、私たちはそれを予知することができないのである。
地震予測については多くの研究がなされているが、私たちはそれに頼ることはできない。それならば、日本人は考え方を変えなければならないことが分かる。
予測や予知よりも、もっと大切なものがあるのだ。それが、サバイバルできる民族になるということだ。
サバイバルできる民族にならなければ生き残れない
いつ来るのかに頭を使うのではなく、「どう生き延びるのか」に頭を使うようにしなければならない。
予知が不完全である以上、でたらめな予知を真に受ける人よりも、生き延び方を現実的に考える人のほうが利口だ。
日本人は、予知する民族ではなく、サバイバルできる民族にならなければ生き残れない。それが一番、現実的であり、正しい方法だ。
大地震の瞬間に巻き込まれら、いかにして身を守るか。いかにして逃げるか。いかにして家族と連絡を取るか。いかにして安全地帯を見極めるか。
海辺の人は大地震のあとに高台に逃げるのは鉄則だったが、東日本大震災のときは学校の教師がそれを徹底できなくて子供たちが全員死んだ。
耐震構造がしっかりしている国(たとえば日本)では、大地震のときは建物の中にいるほうが助かる可能性が高い。
耐震構造がずさんな国(たとえば、中国・アジア各国)では、大地震のときは建物の中にいると倒壊して巻き添えになる可能性が高い。生き延びる方法はそれぞれ違う。
今、自分がいる環境を見つめ、生き延びる方法を知り、準備しておくのが合理的だ。いつ地震が来るのかを予想するのは、合理的ではない。
ライフラインが切断されていたとき、いかにして生き延びるか。いかにして食料を調達するか。いかにして財産を守るか。「どう生き延びるのか」を考えると、やらなければならないことは意外に多い。
その積み重ねが、最悪を乗り切れる確率を高めていく。
予言よりも準備を。
予測よりも対処を。
これを徹底することによって、おのずとして日本人はサバイバル方法を考える民族、つまり「現実的な民族」になっていくのだと考えている。(written by 鈴木傾城)
〓 この記事のツイッター投稿はこちらです
#東日本大震災 の記憶は、今もなお生々しく日本人の記憶に残る。問題は、4枚のプレートが重なり合っている真上に位置する日本には、巨大な地震がこれからも必ずくるということだ。日本人は「サバイバルできる民族」でなければならない理由がここにある。https://t.co/vmELt5RxhV— Keisei Suzuki (@keiseisuzuki) 2018年3月10日
〓 この記事の関連記事はこちらです
戸籍乗っ取りをして他人に「なりすます」ような犯罪は、背乗り(はいのり)と呼ばれている。他人の人生を乗っ取ってしまうのだから、卑劣で危険な犯罪である。2013年のこの記事は、今も読まれている。背乗りはマスコミが取り上げない闇だ。日本には工作員が潜むのだ。https://t.co/Xaxqj5TM5K— Keisei Suzuki (@keiseisuzuki) 2018年3月10日
ツイッターで鈴木傾城をフォローして頂くと、執筆・更新状況などが総合的に分かります。