終身雇用が消えたのだから、意識を転換させて生き残る必要がある

終身雇用が消えたのだから、意識を転換させて生き残る必要がある

給料というのは、「その人が食べて行ける必要最小限」を出すのが基本である。

だから、一生懸命に働いたところで、給料はべらぼうに上がるわけではない。多少は上がるかもしれないが、その範囲はほぼ決まっている。

なぜなら、会社というのは従業員をコストと考えているからだ。コストにはいくら支払うかは、「従業員は、いくらならギリギリで暮らせるか」で決めている。

若年層の給料が安く、年齢が上がれば給料が高い。それは、簡単に言えば、年齢が高い方が生活コストがかかるからだ。その分だけ払わないと彼らが生きていけない。

給料が安すぎれば、従業員が食べていくことができないので、仕事が続けられない。だから、必要最小限は出す。

しかし、出し過ぎるとコストが上がって会社としての競争力が下がるので、必要以上は出さない。だから、従業員がいくら頑張ろうが給料の範囲は高がしれている。

これは、単純なコスト計算なのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「その人が食べて行ける必要最小限」しか出さない

多くの人々が常に生活に追われている感じがするのは、言うまでもなく、賃金をギリギリしかもらっていないからだ。

かつての日本は終身雇用であり、年功序列でもあった。それなりに、社員のことを考える会社が多かった。

しかし最近は企業自体が変質した。終身雇用が崩壊し、社員はどんどん派遣やアルバイトやパートに置き換えられ、従業員に対しては必要最小限の責任しか持たない。

コスト意識がさらに進むと、賃金はどんどん落ちていく。賃金は職種や経験や景気に左右されるので、一本調子で下落というわけではない。ムラはある。

しかし、現代の資本主義で起きているのは、一貫して先進国の従業員の賃金の減少と、労働環境の悪化だ。賃金は政府が何をしても、どんどん落ちていく。

社会が壊れようとするときは、必ず末端から壊れていく。こういった状況を人々は肌で感じ取っているから必死で働く。しかし、企業は「その人が食べて行ける必要最小限」しか出さない。結果から言うと、一生懸命に働いても「たかが知れている」ということになる。

仕事をするにしても、仕事の仕方を今までと変えなければならないということだ。結局どうすればいいのか。

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どのみち、企業は社員の面倒を最後まで見ないのが基本になる。終身雇用は消え、企業はいつでも不景気になれば社員をリストラする。

だから、自分の面倒は自分で見る必要がある。会社に雇われて生きているという発想から、自分の能力を会社に売って生きているという発想になる必要がある。

「会社に雇われて生きる」というのは、会社に依存して生きていることを意味している。「能力を会社に売って生きている」というのは、会社に勤めていても個人営業と同じだ。まず、この意識の転換が必要なのだ。

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「これができるのは自分だけ」という能力が必要

会社に「能力を売って給料をもらっている」とすれば、リストラされても、その能力で独立できたり、すぐに他の会社で同じ仕事を継続できる。

この「能力」は、自分の人生を成り立たせるためのものだから、すぐに廃れたり、誰でもできるような陳腐な「能力」では意味がない。高度で専門的なものであるべきだ。

・一生を成り立たせることが可能な「能力」であること
・高度で専門的な「能力」であること

この能力は「技能」と言ってもいいし、「知識」と言ってもいい。自分の一生をそれで成り立たせるのだから、好きなものでないと長続きしない。

まずは、これを身につけるか、もしくは見つける。そして、この「能力」を会社に売って生きる。あるいは、この能力で独立できることも可能になるようにする。

ここが出発点だ。

ただ、「能力」があるだけでは足りない。なぜなら、自分以外に数千万人が同じ能力を持っていたとしたら、せっかく能力があったとしても、その能力は安売りするしかない。

私たちは自分だけの「能力」、すなわち「希少価値のある特殊な能力」を見つけるか身につける必要がある。

分かりやすく言うと、「これができるのは、世界で自分だけ」という能力を「開発」するのが先決であるということだ。

それは口で言うほど簡単なことではないし、そんな能力を自分の中から見つけるのも、身につけるのも並大抵のことではない。

だから、人生を賭けて作り上げる壮大な目標になる。その能力に需要があれば、一生をその能力で支え、食べて行ける。

また、その能力を活かして、自分にしかできない仕事を作ることもできる。自分にしかできないのだから、その能力が要らない時代にならない限り、食いっぱぐれることはなくなる。

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この4つを中心にして、自分の人生を構築する

一生を支える能力、一生継続させて使う能力なのだから、流行が終われば使えなくなるような能力では意味がない。一生、継続して使える「能力」でなければならない。

その、自分だけが持つ特殊能力は、経験と知識が積み重なり、何らかの「資産」が積み上がるようにすべきだ。

たとえば、歌手であれば、過去の仕事がレコードやCDという「資産」として社会に残る。それは、永遠に作品として残り、収益をもたらす。俳優や、芸術家もそうだ。作品が残って、資産が積み上がる。

一方で、単なる単純労働の仕事は、毎日必死で働いても、「資産」が積み上がらない。何も自分に残らない。

自分に帰属する資産が残らないのは、自分が休んだり動けなくなったら終わりだから、資産が積み上げられる仕事に比べて、それだけで不利であることは考えなくても分かる。

その資産にずっと需要があって、ずっと収益化できるものであれば、資産が資産を生む。

もし、どうしても「能力」に資産が残らないものであれば、能力で得た収益を、成長する企業に長期投資して、それを資産として持つという方法もある。

しかし、本来であれば自分の過去の仕事が資産として残り、それを収益化できる「能力」を持つことができるようにすべきなのである。

(1)一生を成り立たせることが可能な「能力」を持つ
(2)高度で専門的な「能力」を持つ
(3)自分だけができる特殊な「能力」を持つ
(4)資産を生み出すことのできる「能力」を持つ

この4つを中心にして、自分の人生を構築すれば、会社に依存することもなく生きていけるようになる。すなわち、自分で自分を支えることが可能になる。(written by 鈴木傾城)

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「会社に雇われて生きる」というのは、会社に依存して生きていることを意味している。「能力を会社に売って生きている」というのは、会社に勤めていても個人営業と同じだ。まず、この意識の転換が必要だ。

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