日本人の言う「大人の対応」というのは、弱腰を正当化する負け犬の言い訳

日本人の言う「大人の対応」というのは、弱腰を正当化する負け犬の言い訳

日本人は自分が批判され、叩かれ、誹謗中傷を浴び、集中攻撃されることに慣れていない。今までの日本人は「友愛や、理解や、平和や、協調」を絶対視し、誰とも争わず、ひたすら相手を立てることでやり過ごそうとしてきた。裏工作も不得手で、相手に良いように騙されても大騒ぎすることもないし、「日本は大人の対応をする」と言って弱腰を正当化して泣き寝入りしてきた。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

弱腰を「大人の対応」と言ってごまかしてきた

当たり前の話だが、外交や人間関係には必ず意見の対立や衝突がある。それぞれの国家も人も無意識に自らの利益を最大化しようという本能があるので、時には自分の最大限の利益のために相手を叩きのめそうとすることも起きる。

しかし、日本は政治家も国民もいつも弱腰で、自分の利益を削ってでも相手の意向に沿おうとしてしまう。

それが延々と続いて日本の国益を毀損してしまっていた。日本人は場を丸めるために、相手の理不尽や傲慢な要求をいつも飲んできた。

歴史プロパガンダを仕掛けられると、それが嘘であっても強硬な反論をしてこなかった。さらに言えば、「謝れ」と言われたらペコペコと謝り、「カネを出せ」と言われたらカネを出してきた。

恫喝されたら萎縮し、罵倒されても反論すらせず、ただ相手の言いなりになってきた。

この惨めな状態を、日本人は「大人の対応をしている」と言って自らを慰めてきた。実際にはただ弱腰なだけなのだが、その弱腰を「大人の対応」と言ってごまかしてきたのが今までの日本だ。

今の日本人のほとんどは泥沼の対立に慣れていないし、執拗な批判にも慣れていない。闘うべき時に闘わないで、いつも袋叩きにされている。だから、相手は日本が叩き返してこないことに安心して、叩きのめしてくる。

高圧的に何か言えば面白いように弱腰になって折れてくれるのだから、完全に日本を舐めてかかっている。日本人の言う「大人の対応」というのは、弱腰を正当化する負け犬の言い訳であることを見透かしている。

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まったく動じない日本人があちこちで生まれている

日本人は自分が批判され、叩かれ、誹謗中傷を浴び、集中攻撃されることに慣れていない。今までの日本人は「友愛や、理解や、平和や、協調」を絶対視し、誰とも争わず、ひたすら相手を立てることでやり過ごそうとしてきた。

裏工作も不得手で、相手に良いように騙されても大騒ぎすることもないし、「日本は大人の対応をする」と言って弱腰を正当化して泣き寝入りしてきた。

それで、どうなったのか。結局、「日本人は叩けば叩くほど折れる」「日本人は言いがかりを付ければ金を出す」と周辺国に嘲笑されるようになったのである。

いったいなぜ日本人はここまで弱腰な民族になってしまったのか。

戦後のアメリカが日本を二度と立ち上がらせなくするために「プレスコード」によって言論を誘導した結果であるという人もいる。あるいは、戦後教育の自虐史観と極端な平和主義の押し付け、反日の工作員が大量に入り込んで変質したマスコミの世論形成の結果であると考える人もいる。

恐らく、その「すべて」が作用したのだ。

しかし、インターネットの登場でマスコミの言論誘導が次々と暴露されるようになり、徐々に覚醒する日本人が増えていくことで状況が分かりつつある。しかし、もう今さら朝日新聞のような古くさいい自虐史観を押し付ける反日マスコミに踊らされるような日本人は減り、多くの日本人が覚醒し始めている。

歴史プロパガンダに対抗し、売国マスコミに反旗を翻し、叩かれても、誹謗中傷を浴びても、攻撃されても、陰湿に粘着されても、まったく動じない日本人があちこちで生まれつつあるのである。

自分に批判・誹謗中傷・嫌がらせの集中攻撃が向いても、動じないで主張する。これが、「今の日本人」に求められている資質だが、その資質を備えた人々が次々と生まれるようになっている。

「大人の対応」がただの弱腰であると気づいた日本人が増えた。

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「大人の対応」というきれいごとから去れ

世界に目を転じると、宗教問題、歴史問題、領土問題、人種問題で、絶対に妥協できない対立が激しくぶつかり合っていて、血で血を洗うような事態が起きている。

これらのすべての問題は民族のアイデンティティに直結しているので、話し合いも成立しないし、譲り合いも成立しない。譲れば民族としての存続が不可能になるので、絶対に譲れない。

折しも情報化時代に入っているので、こうした衝突は言論の場にも持ち込まれるわけで、だからこそ歴史プロパガンダが猛威を振るうようになっている。

欧米とロシアのプロパガンダ合戦、欧米とイスラム国家のプロパガンダ合戦、グローバリストとナショナリストのプロパガンダ合戦、アメリカ国内でのリベラルと保守のプロパガンダ合戦は日々、深刻なものになっている。

東アジアでも、中国・韓国・北朝鮮が日本に対して執拗かつ粘着的な捏造歴史プロパガンダ戦争を仕掛けており、日本人に対する誹謗中傷、批判、攻撃が恒常的に行われるようになっているのだ。「大人の対応」みたいなもので表面を取り繕っていけない状況になっているのだ。

だからこそ、私たちは日本人としての主張を押し通す必要が生まれてきている。大人の対応みたいな「弱腰をごまかす姿勢」から脱して、闘争本能に目覚めなければならなくなった。

歴史問題は、何も言わないと相手の都合の良い主張が世界の歴史になる。領土問題は妥協していると次々と土地を奪われていくことになる。

重要なところで妥協してしまうと、日本人の尊厳も領土もすべて奪われる。だから、民族の存続をかけて、「大人の対応」というきれいごとから去らなければならなくなっている。

今まで日本人は、協調性を意識しすぎた。批判することを恐れ、主張することを恐れ、復讐することを恐れ、バッシングされることを恐れ、修復不可能になることを恐れてきた。2020年に入った今、こうしたものはすべてひっくり返さなければならない。

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「大人の対応」をすることに徹底しすぎた

日本人は「大人の対応」を捨てて、対立と衝突を恐れない国民になるべきだ。今後、立ち上がるためには、この恐れをすべて捨てて、脱皮しなければならないということになる。

  1. 相手を激しく批判することを恐れない。
  2. 主張を押し通すことを恐れない。
  3. 相手に報復・復讐するのを恐れない。
  4. 批判やバッシングを恐れない。
  5. 修復不可能な敵対・対立を恐れない。

日本人は何事も徹底する癖がある。戦後から今までの日本は、あまりにも優しくなること、諸外国に配慮すること、対立を避けること……、すなわち「大人の対応」をすることに徹底しすぎた。

普通の民族は何事にもほどほどで止まるのだが、日本人は平和優先と決めたら徹底的なまでに平和優先になっていき、あまりにそれが行き過ぎた。

そして良かれと思って徹底した平和至上主義で、今や日本の主権そのものが脅かされるところにまで到達した。そういった状況はいよいよ終わりにして、日本人全員が意識を変えなければならない日が来ている。

2020年代の日本人に求められているのは、まさに「対立できること」だ。

対立できるというのは、相手を激しく批判するのも辞さず、徹底的に主張を押し通すことを恐れないということだ。批判やバッシングをエスカレートさせて、修復不可能な敵対関係となることも受け入れるのだ。

今後も国家間の対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人もそうならざるを得ない。こうしたことに気付き、敢えて言論の誹謗中傷や攻撃や批判の中に飛び込んでいき、そこで戦う日本人があちこちで登場してきている。

素晴らしい状況になっていると言える。

『まだGHQの洗脳に縛られている日本人(ケント・ギルバート)』

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