リベラルは自由主義ではなく無秩序主義、最終的には「国家破壊主義」でもある

リベラルは自由主義ではなく無秩序主義、最終的には「国家破壊主義」でもある

「あなたは自由でいたいですか、それとも束縛されたいですか?」と問われれば誰でも「自由でいたい」と答える。しかし、「他人があなたを自由にする社会に生きたいですか、それとも他人があなたを自由にする権利なんかない社会に生きたいですか?」と問われれば、誰でも「他人が自分を自由にする権利なんかない」と即答するはずだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

それは、多国籍企業にとって都合が良い政策だ

多文化共生が机上の空論であるというのは、移民を大量に受け入れた欧州で大混乱が発生し、国家内での文明の衝突が起こったり、反移民のムーブメントが湧き上がったり、国の伝統や文化を守ろうと訴える保守や右派が強烈なまでの支持を得て選挙で躍進したのを見ても分かる。

アメリカでもトランプ大統領が「アメリカ第一」をスローガンに掲げ、グローバル化と多文化共生を否定してきた。なぜか。トランプ大統領は「アメリカはアメリカ人が豊かになってこそ蘇る」という信念を持っていたからだ。

“MAGA”(Make America Great Again)は、まさに「自国のアイデンティティを思い出すことによってアメリカを再び偉大な国にしよう」という呼びかけであり、多くのアメリカ人がこれに呼応した。

アメリカ人の半分は、リベラルな民主党が進めるグローバル化・多文化共生という「自国破壊」を為す術もなく見つめてきたのだが、ドナルド・トランプ大統領は初めて「グローバル化よりもまずは国益を優先して、アメリカを建て直そうとしたのだ。

アメリカは格差が広がり、政治は「富める者の道具」と化していた。グローバル化が進められるのは、多国籍企業が途上国の低賃金労働者を雇えて、先進国の市場に売りさばいて利益を取れるからだ。

多文化共生が進められるのも、多国籍企業にとっては「便利」だからだ。自国に移民を大量に入れたら安い労働者が雇える。そうすると、コストを削減した分だけ自分たちの利益が増える。

グローバル化と多文化共生は、言ってみれば多国籍企業にとって都合が良い政策であって、それ以外の何ものでもない。

どこの国の国民も、グローバル化が進められたら自分たちの賃金は下がり、多文化共生で自分たちとは違う文化・宗教・思想を持った異民族との軋轢や侵食に悩まされるだけになる。デメリットをもろに受ける。

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「破壊して新しいものを作る」のがリベラルの正体

リベラルはよく革新と評されるのだが、革新というのは「改革して新しくする」とか「革命で新しくする」という意味で使われる。

この「改革」というのは、すなわち今あるものを壊して、新しいものにすげ替えるということなのだから、改革は破壊に等しい。ということは、「破壊して新しいものを作る」のがリベラルの正体であると言える。

国家を前にしてリベラルであるというのは、すなわち「今の国家を破壊して新しいものを作る」ということでもある。つまり、リベラルは「国家破壊主義」なのだ。

しかし、「国家を破壊する」など言ったら一発で不信感を持たれるので、何か違う言葉で受け入れやすく工夫しなければならない。そこで彼らは自分たちを「自由主義者」と呼ぶようになった。

誰でも束縛されるよりも自由でいたい。自由と言う言葉はとても魅力的で明るくて好感が持てる。だから、自分たちを「自由」という言葉で定義するのは、戦略的には非常に好都合である。

自由の反対は束縛である。「あなたは自由でいたいですか、それとも束縛されたいですか?」と問われれば誰でも「自由でいたい」と答える。そこで「私たちは自由主義者なのです」と言えば誰でもそちらの方が良いと思うに決まっている。

しかし、国家破壊主義者が言う自由というのは、最終的には「社会を無秩序にする」ために仕掛けられるワナである。いろんな秩序を崩壊させ、混乱させ、わけが分からない状態にさせ、混乱の中で国家を破壊する。

確かに「自由」であることは素晴らしいことだが、よく考えて欲しい。何でもかんでも自由にしたら世の中は素晴らしくなるのだろうか。「俺たちが求めているのは、無制約の自由だ」で世の中は良くなるのだろうか。

今ある秩序は制約の下に成り立っている。「男性は女子トイレに入らない」とか、「教室では黙って先生の授業を聞く」とか「会社では会社の方針に従う」というのは秩序だが、「俺は自由でいたいので従わない」と全員が言い出したらどうなるのか。

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実際には「無秩序主義者」というのが正しい

「自由」という美しい言葉で国家は破壊することができる。逆に言えば、国家破壊のために「自由」が使われる。国家破壊のために意図的に使われる「自由」という言葉は、実は自由という言葉で社会を無秩序にするものとなる。

リベラルの言う「自由主義者」というのは、実際には「無秩序主義者」というのが正しい。自由を扇動して社会を無秩序に誘導して、最終的に国家破壊するのだから、いずれにしてもリベラルは「国家破壊主義者」なのだ。

だから、リベラルは「なんでもかんでも自由という無秩序」を提唱して社会を混乱させ、一歩一歩、国家のあり方や枠組みを「破壊」して、最後には無政府・無法な状態を登場させるのだ。

この「無政府状態」を望む人々を「アナーキスト」と呼び、無政府主義のことを「アナキズム」と言う。アナーキズムは「俺のやりたいようになる」という主義である。やりたいようにやるというのは、他人の人権を無視してでも自分の自由を通すということでもある。

だから、アナーキストは強者の論理である。無法の中で生まれた弱肉強食の社会で、圧倒的な暴力を振るう人間が成り上がる。そして、最後にはそこで勝ちあがった「ひとり」が自らの利益のために「その他全員」を犠牲にする。

すると、どうなるのか。強者の論理が法のように機能して、ほとんどすべての人が不自由な社会が誕生する。

自由を追求したら自由になるわけではない。

自由は無秩序を生み出し、無秩序は無法を生み出し、無法は弱肉強食の社会を生み出し、弱肉強食の社会は圧倒的暴力で勝ちあがった勝者を生み出し、その勝者は自分「だけ」に好都合で自由なルールを行使して独裁的な社会が誕生する。

もちろん、その社会では誰も自由に振る舞う権利はない。無秩序・無法の中で勝ちあがった唯一無二の強者だけが自由に振る舞える。強者以外は強者の顔色をうかがって不自由に生きる。

自由を追求すると、最終的には「絶対的強者の自由」だけが生き残る。

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他人があなたを自由にする社会に生きたいですか?

「自由」という言葉が無制限に社会に取り入れられると無秩序の増長になる。しかし、そうしたことを深く考える人はそれほどいない。多くの人は、社会の秩序に対しては少なからず窮屈に感じているので「自由主義」とか言われると、つい心が揺れ動く。

だから知らずして社会を無秩序にする動きに加担し、秩序をひとつひとつ無自覚に破壊していく。

「家族みんな別々の名前でも自由だ」
「結婚に性別は問わない、自由だ」
「参政権は外国人にも自由に与えられるべきだ」
「誰がどこに住もうが自由だ、移民は自由だ」
「天皇陛下の写真を燃やすのも芸術だから自由だ」

小さな小さな部分から、自由の名の元に秩序の破壊が同時並行で仕掛けられる。すると、どこかの破壊で社会が統制をとれなくなり、社会全体が混乱し、コントロールを失い、国家破壊につながっていく。

リベラルが言う「自由」というのは「無秩序」でしかないのだ。

「あなたは自由でいたいですか、それとも束縛されたいですか?」と問われれば誰でも「自由でいたい」と答える。

しかし、「他人があなたを自由にする社会に生きたいですか、それとも他人があなたを自由にする権利なんかない社会に生きたいですか?」と問われれば、誰でも「他人が自分を自由にする権利なんかない」と即答するはずだ。

結局のところ、私たちは国家の枠組みが確立し、秩序がきちんと保たれ、社会全体の秩序のためには自分の自由が束縛されるのも受け入れてこそ、日々の生活が成り立つという「当たり前」のことに気づく。

そういったことも踏まえて、今の社会の状況を俯瞰して見た方がいい。グローバル化・多文化共生は、国家の枠組みを破壊して新しい社会を生み出そうとする動きなのだ。

今、リベラルはうなりを上げて世界を覆い尽くしている。たまに出てくる自国愛に溢れた「邪魔な指導者」、たとえばドナルド・トランプみたいな指導者を強引に排除して、リベラルは国家破壊に邁進している。

リベラルは紛れもなく「国家破壊主義」を柔らかく、優しく言い換えた言葉である。リベラルについていくと、いつしか国家が崩壊する。

『対立の世紀 グローバリズムの破綻(イアン・ブレマー)』

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