最近、ふと気になって邱永漢の著書を読み返してみたのだが、若い頃に感じた印象とはまた違う印象を私は持った。「同じことを続けるな」と言っていた邱永漢も、実は「事業を興す」「執筆する」という「同じこと」は、2012年5月に死ぬ直前までずっとやっていた。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
いろいろスタイルは変えても「生き方」は変えない
1960年代あたりから2000年代まで、日本経済について語ってきた経済評論家の中で最も偉大だったのは、台湾出身の作家である邱永漢氏ではないかと私は思っている。もう亡くなって8年ほど経つ。しかし、今もなお強い印象と共に氏を覚えている人も多いだろう。
邱永漢氏は1955年に小説『香港』で直木賞を受賞した人なのだが、ほとんどの人は邱永漢を作家としてよりも経済評論家・事業家として認識している。改めてウィキペディアを確認してみると、以下のような事業をやっていたという。
『実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売などを手掛けた。東京には邱経営の中国語教室も存在した。日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもあった。また中国ではコーヒー栽培事業のほか、建設機械販売、高級アパートメント経営、パン製造販売、レストラン経営、漢方化粧品・漢方サプリメント販売、人材派遣業などの事業を営んでいた』
もう事業という事業を片っ端からやってきているというのが分かる。
ご本人の著書の中で「ひとつの事業をじっくり育てていれば私も事業家として大成したと思うが、気が多いのであれこれ手を出しては失敗している。成功よりも失敗の方が多い」と述べられている。
それでも、多くの人にとっては邱永漢という人は「事業の天才」であって、上記のビジネス以外にも「経営コンサルタント」という顔を持っていた。
経営コンサルタントとして事業相談で金を取り、その上に「この事業はこんなに儲かっているのか」と分かったら、そのジャンルの上場企業の株を買って、なおかつ自分もできそうな事業はやってみるという徹底ぶりだった。
しかし、私にとって邱永漢は「株式投資の先生」であって、邱永漢のやっている事業にはさっぱり興味がなく、書籍も株式市場をテーマに書かれた書籍「のみ」を読んでいた。
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「さっさと魚がいる池に移動しろ」というのが口癖
実は1990年頃だったと思うが、今後の株式の動向のことで邱永漢に一度お会いしたことがある。その時、「君はまだ若いんだから同じことばかりしていたらいけないよ」という旨のことを言われたことがあった。
この、「同じことをするな」というのは、邱永漢の哲学でもあった。
なぜ同じことをしていてはいけないのか。それは、時代が変わると今まで儲かっていた事業も儲からなくなっていくからだ。
石炭会社も大儲けした時代があったかもしれないが没落した。遷移会社も大儲けした時代があったかもしれないが没落した。鉱山会社も大儲けした時代があったかもしれないが没落した。
時代はどんどん移り変わっていく。
だから、「魚がいない池でいかに魚を釣るのかを考えず、さっさと魚がいる池に移動しろ」と口を酸っぱくして講演や著書で言っていたのである。言うだけではなく、邱永漢自身も上記のように、次から次へと事業を変えた。有言実行だった。
1990年以後、バブルが崩壊したのを見た私は、邱永漢の言葉がずっと頭にあって「日本社会は魚のいない池になった」と思って以後は日本株を全部キャッシュに変えて東南アジアでふらふら生活するライフスタイルに転じた。
邱永漢もまた「日本社会は魚のいない池になった」=「儲かりにくい国になってしまった」という認識を持って、いよいよ経済成長に向かってスタートした中国に傾斜するようになった。
晩年は中国で事業を興すと共に、中国企業の株式を大量に買うようになっていた。2000年代の中国は「高度成長期」であり、邱永漢のような利に聡い人は指をくわえて見ていることはできなかったのだろう。
本当に、最後の最後まで気が多い人で「いろんなことをやっていた」人であったのは間違いない。確かに邱永漢は「同じこと」はしなかった。売り買いしていた株式も、投資スタイルも、目まぐるしく変えていく人であった。
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邱永漢はスタイルは変えたが、生き方は変えていない
最近、ふと気になって邱永漢の著書を読み返してみたのだが、若い頃に感じた印象とはまた違う印象を私は持った。
「同じことを続けるな」と言っていた邱永漢も、実は「事業を興す」「執筆する」という「同じこと」は、2012年5月に死ぬ直前までずっとやっていた。
邱永漢は自由奔放に生きる舞台は変えていたが、「事業」「執筆」という軸の中で生きていたということを私は改めて認識した。確かに邱永漢は目まぐるしくいろいろなことをやったのだが、生き方の「軸」は一貫していたのだ。
「事業」をする。
「執筆」をする。
この2点を邱永漢は絶対に変えることがなかった。なぜか。それこそが邱永漢の生き方の「軸」だったからである。いろんなことをしていたのだが、軸からは「絶対」に外れなかった。
ある意味「同じことをするな」と言っていた邱永漢も、死ぬまで「同じこと」をしていたということになる。
分かりきった話だが、邱永漢はいくら何でも手を出すと言っても、スポーツ選手になろうとしなかったし、映画にでも出て俳優になる選択も選ばなかったし、歌手になろうともしなかった。
なぜか。「事業」「執筆」が邱永漢の「軸」だったので、それ以外のものは完全に守備範囲外のものだったのだ。そして、さらに言えば邱永漢にとっては「事業」「執筆」も実は「金儲けのため」ということで一環していたのかもしれない。
「事業」で金儲けする。「執筆」で金儲けする。「執筆の内容」もまた金儲けのことで、すべてが「金儲け」のつながっていた。
邱永漢は「金儲けの手段」はあれこれ変えたのだが、「金儲けする」という生き方の軸だけは首尾一貫していた。変えなかった。だから、同じことをするなと言っても、同じことをしていたということでもある。
スタイルは変えたが、生き方は変えていないのである。
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畑違いの分野で新しいことに手を出すという意味ではない
自分の価値を高め、利益を生み出せるものがあれば、それを極限まで継続し、永続することで価値を増大させることができる。それが一貫性であり、永続性である。その部分は「軸」になるので変えてはいけない部分でもある。
成功した人というのは、その人生を紐解くと必ずそこに「一貫性」がある。もしかしたら、その人は他に何かの才能があったのかもしれないが、他にわき目を振らず、一貫して同じ仕事、同じ考え方、同じ世界を貫くことで大成している。
もちろん「同じことを繰り返しても進歩がない」と言う人もいるし、長い人生の中では「新しいことに挑戦することも必要だ」と言う人もいる。それは、その通りだ。
しかし、ここで勘違いしてはいけないことがある。「新しいことに挑戦する」というのは、完全に畑違いの分野で新しいことに手を出すという意味ではないことだ。
野球選手がデザイナーの仕事に挑戦するとか、格闘家が物理学者に挑戦するとか、そんな突飛なことをするのが新しい挑戦ではない。
自分の仕事、環境、世界の範囲で新しいことをするというのが新しい挑戦の意味で、それが人生の一貫性を保つ。
邱永漢が「同じことを続けるな」というのは、時代に合わせて金儲けの手段を変えていけという意味で、事業という軸まで捨てろという意味ではないのである。事業という軸の中で、時代に合わせて「魚を釣る池」を変えろということなのだ。
これはミュージシャンが時代に合わせて人に聞いてもらえる音楽のジャンルに移動するということに近い。音楽のスタイルは変えてもミュージシャンという仕事は一貫している。
軸のある生き方をすることによって、得られるものは非常に大きい。
熟練し、経験豊富になり、信頼されるようになる。波乱が起きてもトラブルを乗り越え、危機を嗅ぎ分け、生き残るのに十分な能力を得て、楽に成功することができるようになる。
改めて邱永漢の著書を読み返すと、邱永漢もあれこれやっていたように見えて、実は「金儲け」という軸で首尾一貫して生きており「同じことをしていた」ということばかりが見えてくる。