
人は自分の人生が常に「右肩上がり」であって欲しいと願う。資産はどんどん膨らみ、持ち物はどんどん増え、社会的地位もどんどん上がって欲しいと願う。大きくなること、巨大化することが、すなわち幸せになることであると思うからである。だから、どこまでも巨大化を突き詰めていき、それを止めることは決してない。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
「若い時」は、何もなかったのではなく自由があったのだ
社会的に見れば、その人の経済力、資産、持ち物は、その人の「大きさ」を計るモノサシになる。
学校を卒業して社会に出たとき、人はまだ何も持っていない状態だ。小さなアパートで暮らし、必要最小限の持ち物で過ごし、安い給料でもコツコツと働きながら生きていく。
よほど恵まれていた人でない限り、若い頃は誰でも「とても小さな存在」であるのが普通だ。小さな存在だったとき、「自分には何も持っていない」という意識の方が強いかもしれない。
しかし、若さは無限の可能性を意味している。派手に失敗しても、金を失っても、信用を失っても、もともと金も信用もほとんどないに等しいので致命傷にならない。体力もあるので、いくらでも挽回は効く。若いということで許されることもある。
「何もない」ということは、思いきり何でもできるということでもあるし、気が向いたらどこにでも飛んでいけるということでもある。何もないのではなく、自由があったのだ。夢と、希望と、自由があった。
しかし、そうは言っても経済的にはどん底《ボトム》に近いものだったはずで、誰もが「持たざる状態のままいる」のが危ないことであると気付き、次第に貯金を大きくすることを目指していく。
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2000万円の貯金を貯めよ、が炎上した理由
総務省統計局の家計調査報告の平成30年の平均結果を見ると、貯蓄現在高の平均値は以下のようになっていた。
〜29歳 384万円
30〜39歳 631万円
40〜49歳 1012万円
50〜59歳 1778万円
60〜69歳 2327万円
70歳〜 2249万円
この数字はあくまでも平均で、平均と言えば一部に高額の貯蓄をしている人がいると、そちらに引きずられて実態が狂ってしまうので実態を表していない。これが「平均値」の問題点だ。
貯蓄現在高階級別世帯分布を見ると、実際には貯蓄100万円以下の人たちも全世代で10%近くいる。
また60代で2000万円が貯まっている人も、実のところ多いわけでもない。事業に成功したり、投資に成功したりして、1億や2億を貯めることができた人が少数でもいると、それが平均値を押し上げるので、このような数字になっている。
貯蓄額の実態は平均値よりも「中央値」を見るべきだが、この中央値で見ると「二人以上の世帯のうち勤労者世帯」「貯蓄ゼロ世帯を含めた中央値」は2019年の段階で、貯蓄現在高は1376万円となっている。
「年金とは別に2000万円の貯金を貯めよ」という話を政府がした時、「そんな金がどこにあるのか?」と炎上したのは記憶に新しい。
なぜ、そのような炎上が起きたのかというと、「平均値」で見ると分からないが「中央値」で見るとよく分かる。中央値は1376万円で100万円以下も10%近くいたのだから、「普通の人」は2000万円の貯金など誰も持っていなかったのである。
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巨大化することが、すなわち幸せになることか?
他の人がいくら資産を持っているのかは、平均値では見えてこない。しかし、平均値の数字でも分かることがあるとすれば、20代の頃はほとんど貯金がなくても、70歳に入るまでは貯金がどんどん増えているという「一般的な現象」の方である。
普通に生きている人は、何も持たない中から将来の結婚や子育てや住宅の保有などを考えて、「貯金しなければ」と思うようになり、自分のできる範囲の中で努力する。それが資産の継続的な増加という現象につながっている。
そして、仕事に対して知識が増え、結果が伴い、作業や判断や結果に年季が入るようになると実績が認められるようになり、人は着実に「社会的に大きな存在」になっていく。
年代が上がれば上がるほど経済力も上がり、資産も増え、持ち物も増える。資産がどこまで増えるのか、どこまで増やすのかは、それぞれの職業や金に対する関心も違うので一概に言えない。
資本主義的な活動をしている人は資産を増やす確率が高まるし、別のところに関心がある人はそれほど資産が増えないかもしれない。
しかし、ひとつ言えるのは、資本主義社会の中では、資産を捨てて小さくなろうとする人はほとんどおらず、誰もが「もっと大きく」「もっとたくさん」を目指しているということだ。
人は自分の人生が常に「右肩上がり」であって欲しいと願う。資産はどんどん膨らみ、持ち物はどんどん増え、社会的地位もどんどん上がって欲しいと願う。
大きくなること、巨大化することが、すなわち幸せになることであると思うからである。だから、どこまでも巨大化を突き詰めていき、それを止めることは決してない。
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資産であったものが自分の重荷となり、致命傷になっていく
人生は浮き沈みがあるので確実ではないのだが、それでも普通に働き、真面目に生きていれば、だいたいの人はそれなりに資産が増えていく。資産については焦らずにじっくり構える人が多い。
しかし、資産を早く巨大化しようとして、自分にステロイドを打つのと同じような無理をするような人もいる。社会的な「ステロイド」としてよく知られているのは「借金」である。
借金は自分を社会的に巨大化させるツールだ。それは「資産」を水膨れさせるのである。「資産」と言うのは、実は「資本」と「負債」を足したものとして語られる。「負債」とは言うまでもなく、借金を上品に言ったものだ。
1000万円の現金と2000万円の借金があれば、その人の資産は3000万円なのである。2000万円分は借りているものだが、その借金も足されて自分の資産の規模に含まれる。
30年超えの住宅ローンを組んだ人は、それこそ3000万円の借金を抱えていることになるが、買った不動産は自分の持ち物なので、その3000万円の借金は資産となる。
返せるのであれば、別に問題はない。負債は立派な資産だ。しかし、それが返せなくなった瞬間、資産であったものが自分の重荷となり、致命傷になっていく。借金の副作用によって身動きできなくなってしまうのだ。
だから、資産という形で自分が社会的に大きくなったとしても、それが過大な借金であった場合は、その巨大さによって身動きできなくなり、鈍重になり、ストレスとなり、状況が悪化するとそれが致命傷と化す。
私自身は資本主義で生きている中で、ファイナンスがいかに有効なツールであるのかは理解している。つまり、「有意義な借金」があって、それをうまく使える人は使っても損はないと思う。
ただ、資産に借金というステロイドをやみくもに打っている人は、「人生で綱渡りをしている」という自覚が必要だとも考えている。
スピードに慣れがくると同様に、借金にも慣れがくる。ストリートも社会も「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と思っているうちに、曲がりきれない曲がり角がくるものだ。
借金というステロイドによってうまく立ち回れると、ハマれば資産の増大につなげることができるのだが、逆に下手を打つとステロイドが大量であればあるほど挽回不能の致命傷になってしまう。
「大きくなること、巨大化することが、すなわち幸せになることである」という考え方にとらわれ、資産に借金というステロイドを打って将来に賭ける人も多いのだが、バクチ的な人生になっていくのは否めない。
