粗悪品の時代。これだけ粗悪品に囲まれても誰も危機感を持たない現代の日本人

粗悪品の時代。これだけ粗悪品に囲まれても誰も危機感を持たない現代の日本人

最近は日本人ですらも100円ショップの安物買いしかしない人間も増えている。細部にこだわるという本来の気質とは別の「安ければ何でもいい」という日本人もかなり増えて一般的になった。これが日本に何をもたらすのか、考えている日本人はあまりいないことに危機感を覚える。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

真っ当な製品を駆逐するほど広がって世の中を覆い尽くす

2021年。コロナ禍でグローバル社会は寸断されているはずなのに、日本のAmazonはますます怪しい安物中華製品で覆い尽くされてしまっており、いまやAmazonは「中華業者の通販」と言われている。

そして、レビューもまた偽レビュー業者が粗悪品に高評価を与えるのでまったく意味が為さなくなってしまっている。

これは日本だけの話ではなくアメリカでもそうだ。ショッピングサイトと言えば、最近は「wish」という格安製品専門のサイトも勢力を伸ばしていて、日本でも展開しているのだが、ここもまた中華製品の粗悪品で満ち溢れている場所であることはよく知られている。

全世界で粗悪品が蔓延している。いくら粗悪品の害悪を強調しても粗悪品の勢いが止まらない。文明は粗悪品のゴミで溢れそうになっている。現代は「粗悪品の時代」なのである。

粗悪品というのは、ありとあらゆる部分で「手抜き」が行われていて、性能を発揮しない製品である。

こうした製品はすぐに駆逐されて消え去って世の中に存在しなくなるのだが、粗悪品を作る会社は夏の蚊のように沸いて出てくるので、粗悪品は駆逐されるどころか、真っ当な製品を駆逐するほど広がって世の中を覆い尽くすことになる。

人々が粗悪品に飛びつくのは、粗悪品は真っ当な製品よりも「絶対的に安い」からである。正規品の80%オフだとか、90%オフだとか、信じられないほどの安値、捨て値で売っていることもある。

しかし、粗悪品がこれほどまで安くできるのは、見てくれだけを整えて中身が伴っていないからだ。すべてが大雑把ですべてが安っぽい。すぐ壊れる。しかし安い。とにかく安いのだ。

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日本が美しいのは細部を極めているからだ

こうした粗悪な製品が100円ショップやネットショップを通して大量に出回り、大量に売れていく。本来、日本人はこうした粗悪品を嫌う民族だったはずだが、今では粗悪品も大量に売れる時代でもある。

そして、これだけ粗悪品に囲まれても誰も粗悪品の危機感を持たないが、これを放置しておくのは日本の未来にとって非常に危険なことだ。

日本の建物が美しい、日本の製品が美しい、日本のサービスが美しい、日本の料理が美しいと感じるのはなぜか。

それぞれは個々に素晴らしい部分が山ほどあって語り尽くせないのだが、全体を通してひとつ言える重大なことがある。日本のすべての文化に行き渡っている「ひとつの重大な特徴」は、シンプルにしてかつ明確なものだ。

「細部を極める」

日本が特別なのは細部を極めているからだ。日本が美しいのは細部を極めているからだ。日本が他とまったく違うのは、すべてこのひとことに集約できる。

「細部が極められている……」

日本的なものというのは、すべて「細部を極めている」から美しく、精巧で、心地良いのである。建物も、製品も、サービスも、料理も、細部を極めているので、美しいと感じられる。

「神は細部に宿る」と言ったのはドイツ出身の建築家ミース・ファン・デル・ローエだが、この精神が遺憾なく発揮されているのが日本である。

日本が特別であり、日本のものの美しさを際立たせているのは、「神は細部に宿る」という精神が根付いているからだ。

海外で発明されたものも、日本で独自発展していくのも、日本人が「細部をとことん美しく素晴らしいものに改良していく」からでもある。

日本文化の美しさというのは、ここにある。見えないところでも手を抜かず、むしろ見えないところに手を尽くす。そのような哲学を持っているのだ。国民もまたそれを細部の美しさにこだわった。だから、いろんなものが精巧で美しい。

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金のことばかり考えている企業や人間には細部を極めるができない

細部を極めるというのは、結果的に対象を高品質化させていくという流れになる。その結果、対象物は独特の美しさと上品さを醸し出すようになる。

日本人であれば「細部に手を抜かない」というのは、当たり前のことなのだが、実はこれが当たり前だと思っているのは日本人だけで、多くの国はそれほど細部にこだわっていない。

隣の中国・韓国ですらも、「細部に手を抜かない」「細部にこだわる」という文化や思想はまったくない。むしろ、その逆でコスト削減のために見えないところは徹底して手を抜く。

2018年9月26日。ラオスで韓国の建設会社が建設していた大型水力発電ダムが決壊して巨大惨事になった事件があった。この事件による被災者は1万5000人を超えている。村が丸ごと消滅するほどのダメージだった。

ダムが決壊した理由は、韓国の建設会社のコスト削減と手抜きだった。こうした人命に関わる建設物でも平然と手抜きが行われている。

途上国では、できたばかりの橋が崩れ落ちたり、地震で学校の校舎が跡形もなく崩壊したり、道路がいきなり巨大な陥没を見せたり、建設途上のマンションが倒れたり、できたばかりのダムがいきなり決壊したり、日本人の想像を絶するような事件が毎日のように起きている。

このような事態になるのは、コスト削減や中抜きや手抜きが優先されていて、細部をおざなりにすることによって発生している。すなわち「細部を極める」という思想が完全に欠落してしまっている。

むしろ、コストを削減して自分の取り分を増やすためには、率先して細部の手抜きをするという方向に走っている。

細部を極めるというのは手間も時間もかかる。コストも高くなれば管理も面倒になる。「手っ取り早く儲けたい」と金のことばかり考えている企業や人間には細部を極めるができない。

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細部にこだわった製品も、いい加減な粗悪品に負ける

日本人から見ると、細部にこだわった製品が、いい加減な粗悪品に負けるのは信じられないと考える。

しかし、「細部にこだわる」製品やサービスが世界中のすべての国民が評価するわけではない。むしろ、世界中でいい加減な製品が満ち溢れている。なぜか。それは、世界の人口約74億人のうち約40億人が低所得層で占められているからだ。

細部にこだわり抜かれた製品やサービスは「高価格」だが、世界の半分以上は低所得層だ。安い物しか買えない。

安い物というのは、細部に手を抜いたいい加減なものだが、それしか買えないのだから選択の余地はない。そもそも最初から高品質が欲しいとも必要だとも感じていない。

日本が中国・韓国の製品にことごとく負けてしまっているというのは、技術力で負けているのではなく、価格競争で負けてしまっている側面が大きい。

世の中は「質より低価格」が主流になっているのだが、日本だけは相変わらず「高品質・高価格」を追及している。その結果、日本は競争力を失っている。言わば、日本人気質が裏目に出てしまっている。

最近は日本人ですらも100円ショップの安物買いしかしない人間も増えている。細部にこだわるという本来の気質とは別の「安ければ何でもいい」という日本人もかなり増えて一般的になった。

「安ければ何でもいい」という時代が、細部を極めるという日本人の気質や文化を駆逐してしまうのか。それとも日本は「細部を極める」という文化を守り抜くのか。

次世代の日本人がどちらの方向に向かっていくのかは誰にも分からない。場合によっては、日本人の大多数が「安ければ粗悪品でも何でもいい」と言う選択をするかもしれない。

神は細部に宿る。日本文化は細部に宿る。

ひとつ言えるのは、「細部を極める」というたった1つの特徴が消滅した瞬間、日本が日本たらしめている文化のすべてが消滅する。そして、日本には何も残らない。この文化を守るのは日本にとって非常に大切なことである。

しかし、これだけ粗悪品に囲まれても誰も粗悪品の危機感を持たない。結局、こうした気づかない部分からも日本は少しずつ少しずつ劣化していくのだろう。

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