国防のために、一途に国を愛する「右翼」という猛獣を日本は蘇らせる必要がある

国防のために、一途に国を愛する「右翼」という猛獣を日本は蘇らせる必要がある

今では教育現場で「君が代」を歌うのを拒絶する教師が絶賛されるし、学校で「日の丸」を掲げることも厭われる。右翼的な要素はすべて忌避されるまで日本人は右翼的要素を嫌うようになった。そんな状況なので、右翼は社会的立場から見ると、死んだも同然の存在となってしまったのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「右翼は怖い」というイメージを人々に根付かせる要因

かつて日本共産党は平和革命論を否定し暴力革命唯一論を採る『51年綱領』を採択して、テロと暴力破壊活動に邁進した時期があった。

これにつてはこちらでも触れた。(マネーボイス:「暴力革命はデマ」という日本共産党のデマに騙される人々。八代弁護士の謝罪で隠せぬ策動、1951年の“球根”は今も生きている=鈴木傾城

日本共産党は日本国内で次々と暴力テロ事件を引き起こし、日本を恐怖のどん底に突き落としていた。

朝鮮人100人を引き連れて検察庁を襲撃した大津地方検察庁襲撃事件、騒乱を引き起こして警察襲撃計画がバレた昭和27年の大須事件、さらに警察官を射殺した白鳥事件等々、多くの事件が「暴力革命唯一論」によって引き起こされている。

こうした中、右翼側もまた左翼に対抗できる勢力として任侠(ヤクザ)を取り込んでいくのだが、こうした右翼と任侠の合体が後に「右翼は恐ろしい暴力団体」「右翼は怖い団体」というイメージを作り上げることになっていく。

やがて1960年代後半から左翼側の学生運動が盛んになっていくと、右翼側も学生運動と対抗する勢力が誕生し、こうした勢力が三島由紀夫の「楯の会」とも密接に連携して「新右翼」を形成するようになっていく。

この新右翼も実行部隊として統一戦線義勇軍を形成して、まるで左翼のようなスタイルでテロ活動を行っていくのだが、これもまた「右翼は怖い」というイメージを人々に根付かせる要因ともなった。

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右側にいる人たちも「右翼だ」という言い方は避ける

戦前・戦中は軍部の意向が非常に強く日本社会を覆っていたのだが、この大日本帝国の軍部の思想や存在は敗戦によってアメリカに否定され、「溺れた犬は叩け」とばかりに日本国内で勢いを増していた左翼勢力に叩きのめされていった。

戦後の数十年で左翼勢力は教育現場にも大きな影響を及ぼすことになり、「右翼」は徐々に否定され、拒絶され、タブー化され、社会から徹底排除される流れがずっと続いていて、2000年代にはそれが頂点に達したとも言える。

今の右翼団体は「怖い」「胡散臭い」「近寄りたくない」というイメージを貼られて、もはや悪いイメージを払拭できないところにまで追い込まれたように見える。

今では教育現場で「君が代」を歌うのを拒絶する教師が絶賛されるし、学校で「日の丸」を掲げることも厭われる。

教育現場の洗脳もあって、右翼的な要素はすべて忌避されるまで日本人は右翼的要素を嫌うようになった。そんな状況なので、右翼は社会的立場から見ると、死んだも同然の存在となってしまったのである。

かつて国を愛し、国のために立ち上がる人々は「国士」だったのだ。今や国士という言葉すらも死語である。実のところ、右翼というのは国士から見ると格下げの言葉である。

さらに、そんな右翼という言葉も、もしかしたら忌避されて死語になっていくかもしれない。それほど、一般人は誰もがこの言葉を避ける。

思想的には右側にいる人たちも、もう「右翼だ」という言い方は避ける。右翼というイメージがあまりにも悪化してしまったので、この言葉を発するだけで大多数の人たちが逃げていくからだ。右翼という言葉では支持が得られない。

そこで、出てきた言葉が「保守」という言葉である。

これは「右翼」を柔らかくした言葉なのだが、これはソ連がした1991年以後、「共産主義」という言葉が受け入れられなくなったのを左翼側が理解して、意図的に自分たちを「リベラル」という言葉で言い換えるようになったのとよく似ている。

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こうなったら、どのへんが保守なのか誰にも分からない

言葉は生き物なので、社会情勢に合わせてどんどん変化していく。最近は明らかに左翼や反日側にいる人間まで「我々こそ保守」とか言い始めている。立憲民主党の枝野幸男代表も自分自身を「保守本流」とか言っている。

「寛容で多様な、リベラルな日本社会を守る。我々こそが正統な保守政党」というのだから驚く。リベラルの行き着く先は共産主義・社会主義なのだが、それを正統な保守と言うのである。

2021年10月の衆議院選挙でも、枝野代表率いる立憲民主党は日本共産党と野合した。こうなったら、どのへんが保守なのか誰にも分からないのだが、とにかく保守という言葉はそうやって軽々しく使われるようになっているのは間違いない。

呆れたことに、まったく日本のためにならない政治活動をしている反日政治家の齋藤蓮舫も「私はバリバリの保守ですよ」とか言っている。保守と言っていればウケがいいから保守と言っているのだろう。

一方で別の場面ではリベラルだとか言っているので、都合良くコロコロ使い分けているということだ。共産党の志位和夫委員長は、さすがに自分たちが保守とは名乗れないので、言葉を変えてこのように言っている。

「野党共闘は、広大な保守の人々と共産党を含む共闘に発展している」

どこの保守なのかというと、立憲民主党の言っているエセ保守なのである。保守というのは「選挙対策」用の言葉に堕してしまっているのである。まるで左翼による言葉の乗っ取りのようだ。

そのため、今後は保守という言葉も急激に色褪せていくかもしれない。今のままでは、本当に日本を想う現在の『保守』勢力は、別の言葉を発見しなければやっていけなくなるだろう。

次にどういう言葉が生まれるのかは私には分からない。左翼界隈が保守を名乗っても見透かされて票に結びつかないと分かったら、保守を名乗るのも馬鹿馬鹿しくなってやめてしまうかもしれないが、それも分からない。

何にしろ、左翼・リベラル陣営は「乗っ取り」が得意なので、保守という言葉の乗っ取りも起こり得るだろう。

しかし、左翼・リベラル・フェミニストたちのエセ保守たちは、さすがに「右翼」という言い方は絶対に言えない。「右翼」は彼らの天敵でもあるし、何しろ右陣営の猛獣である。近寄れない領域だ。

本物の『保守』勢力は、新しい言葉を見つけるより、嫌われ、見捨てられた「右翼」という言葉を不死鳥のように蘇らせるのも面白いと思う。

今後、中国・韓国・北朝鮮の横暴はますますひどくなる。国を守るためには、ただ一途に国を愛する「右翼」という猛獣を日本は蘇らせる必要があるからだ。まずは「右翼」という言葉から蘇らせるのが順序として正しい。

『激しき雪 最後の国士・野村秋介(山平 重樹)』

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