「朝早く会社に行って夜遅くまで働くのが良い」は本当に正しいことか?

「朝早く会社に行って夜遅くまで働くのが良い」は本当に正しいことか?

私たちは常に決まった時間しか与えられていない。一日は24時間であり、一週間は7日であり、一年は365日である。これは、貧困層だろうが富裕層だろうがまったく変わらない。同一だ。

つまり、時間はすべての人に平等に同じだけのものが与えられている。人間が作り出す社会は不完全なのだが、時間は完全に平等であるというのはもっと注目されてもいい現象である。

一日が24時間であるというのは、それが長いか短いかと言われれば、現代人の多くは「短い」と答えるはずだ。仕事で拘束され、雑事に追われ、移動で時間を食いつぶし、にも関わらず「やらなければならないこと」は山のように押し寄せる。

そのため、私たちは時間を管理しなければならないことになる。

しかし、管理するとは言っても時間を自分の都合に合わせてゴムのように伸ばすことはできないので、自分のやるべきことを見直すしか方法がない。どう見直せばいいのか。

それはシンプルだ。自分にとって重要なことを厳選し、その重要なことに「集中」させるしかないのである。「重要なことを厳選」するためにはどうするのか。最も良いのは、人生をシンプルにして、余計なことはしないことに尽きる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

忙しければ充実しているわけではない

私たちに与えられた時間は決まっている。一度流れた時間はもう二度と戻すことはできない。そして私たちは二度も三度も生まれ変わることもできない。時間は限られている。

だから、自分の人生に意味のないことをやっても仕方がない。有意義な人生を送りたければ、あれもこれも手がけ、多くに関わり、次から次へとやるのは避けるしかない。そんなことをしていると、関わっているものの質がすべて落ちて、結局は何もできていないも同然になる。

必ず自分の人生に利益をもたらす有意義なものに「集中」しなければならないのである。何が自分の人生に重要なのかというのは、人によってまったく違う。だから、自分が何をすべきなのかは自分が決めなければならない。

自分にとっても最も利益になること、有意義になること、役に立つこと、大事なことに全力を尽くさなければ生きている意味がない。

勘違いしてはいけないのは「忙しければ充実しているわけではない」ということだ。自分の人生に意味のないことに忙殺され、忙しく動き回ったとしても、それで結果が出るわけではない。

日本人は「朝早く会社に行って夜遅くまで働く」のが生産的なことであると思いこんでいる。そして、会社もまたそうした社員を評価する。しかし、日本人の労働生産性は世界的に見るとかなり低い部類に入る。

OECD(経済協力開発機構)による労働生産性を国際比較した統計データでは、日本の労働生産性はG7(先進7カ国)の中で最下位である。それもただの最下位ではない。数十年、最下位のまま推移している「深刻な最下位」なのである。

これが示すのは、日本人は「まったく効率的ではない時間の使い方をしている」ということを意味している。忙しい「フリ」をしてだらだらと会社に居残り、だらだらと時間を消耗し、そして「時間がない」と言っているのが日本人なのだ。

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「緊急なものは常に重要」は違う

日本人は企業経営者から従業員まで含め、全員が意識改革をしなければならない時代に入っているのは言うまでもない。

「朝早く会社に行って夜遅くまで働く」ことで成果を上げている人間よりも、「定時内」で成果を上げている人間の方が優秀であるという意識に変わらないと日本社会の労働生産性は上がることはないし、その結果、日本人ひとりひとりの時間は莫大に消費されて、無駄に消えていく。

日本人は集中できていない。だらけ過ぎている。「朝早く会社に行って夜遅くまで働く」ような非効率な人間が評価されてしまうのは、まさに集中できていない証拠であり、二度と戻らない時間を無駄に消耗している証拠である。

社会が「会社にだらだらと残るのが良いこと」と思っているから、日本人は家庭に割く時間がなくなり、育児に費やす時間も取れず、結婚減少や少子高齢化が進んでいくことになっているのだ。

「忙しければ充実しているわけではない」というのはそういうことだ。無駄なところに無駄な時間を消費しているから、やるべき時間が消えて結果的に忙しくなってしまうのである。

日本人がもうひとつ誤解しているのは、「緊急なものは常に重要なことだ」と思い込んでいることだ。世の中は不測の事態の連続なので、次々といろんな緊急の「雑事」が舞い込む。しかし、そうした雑事は必ずしもすべて重要であるとは言えない。

緊急なものばかりに脊髄反射していると、本当にやらなければならない重要なことがおざなりになって、結局は振り回されて終わることになる。緊急なものは必ずしも重要なのではない。

ここで勘違いしてしまうと、結局はやらなければならないことが後回しにされて、何もできないまま時間を消費して人生が終わる。

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どうでもいいことをうまくやっても意味はない

時間を管理するというのは、自分の人生の中でやるべき重要なものをきちんと選択して、後のものは切り捨てることによって成り立つ。つまり、時間を有意義に使いたければ「今、自分がやっている余計なこと」を捨てて身軽になるしかない。

それを分かりやすく言ったのが「人生をシンプルにする」ということなのだ。やるべきことに集中し、そこで成果を出すためには、自分の人生に関係のない枝葉末節を意識的かつ能動的に切り捨てるしかない。

大量の趣味を持つのも無駄だし、大量の習い事も無駄だ。大量の人間関係も無駄だし、やりたくもない仕事に費やす時間も無駄だ。人生は短く時間は戻らないのだから、本当にやりたいことを絞ってそこに集中するのが合理的だ。

時間の無駄を続けている限り、人生から何も得ることはできない。

無意味なことをしているのであれば、そこから早く離れる決断をした方がいい。無意味に自分の人生の邪魔をする人がいるのであれば、その人は早く切り捨てた方がいい。

緊急だが重要ではないものが次々と入るのであれば、どうしたらそれをするかではなく、どうしたらしないで済むかを考える方がいい。誰かに任せることができることがあるのなら、それは任せた方がいい。

時間を作りたければ、重要ではない他の何かをやめるしかない。どうでもいいことはやらない。重要な仕事の妨げになるようなものは捨てていく。どうでもいいテレビ番組や娯楽映画もだらだらと見ない。

時間を管理するというのは、そういうことなのだ。

どうでもいいことをうまくやっても意味はない。自分の人生に重要なことをうまくやるのが、どうでもいいことをうまくやるより重要だ。

日本人が労働生産性が低いというのは、このあたりがうまくできていないからであり、そして社会が個人の時間を奪う悪癖を許容しているから、そうなっている。これは、日本社会が変えなければならないことであり、日本人が考えなければならないことでもある。(written by 鈴木傾城)

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どうでもいいことをうまくやっても意味はない。自分の人生に重要なことをうまくやるのが、どうでもいいことをうまくやるより重要だ。

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