
「知る→反抗心→立ち上がる→目覚める」という流れを封じるにはどうするか。最初の「知る」の部分を封じれば良い。だから、教育を与えず意図的に無学な人間を作り出し、「考えさせない」ようにする。奴隷を奴隷のままにするためには情報を与えないことで達成できる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
やがて、自分が奴隷であることを忘れた奴隷になっていく
自分が奴隷化しているのに、それが分からないということはあり得るのだろうか。奴隷が、奴隷と気付かないで奴隷的人生を生きるというのはあり得るだろうか。
もちろん、あり得る。あり得るどころか、「奴隷化されていることに気がつかない」という状況は今の私たちの社会でも普通に観察することができる。
たとえば、極端な例として北朝鮮を見て欲しい。
北朝鮮は共産主義国家でも社会主義国家でも何でもない。金正恩一族が支配する独裁国家である。金正恩一族の個人国家であり、金正恩一族だけを崇拝させるカルト国家である。
北朝鮮の国民は他国の情報にアクセスすると極刑に処せられる。処刑場は2019年の情報で、分かっているだけで318箇所ある。隣国のテレビを見たというだけで強制収容所送りとなる。自由に情報にアクセスすることができない。
情報は政府によって完全に規制されており、政府が一方的に流す情報を信じるように強制されている。そして、政府は隣人を監視することすらも奨励している。子供が親を密告することもある。
北朝鮮では、体制に疑問を持つのは危険なことなのだ。だから、北朝鮮の人民は生きていくために体制に服従し、考えず、疑問を抱かないように生きる。
それが続くとどうなるのか。
体制を賛美するように洗脳され、賛美する人間だけが生き残ってきたので、進んで隷属して生きるようになる。やがて、考えることを放棄し、自分が奴隷であることを忘れた奴隷になって、奴隷的人生を生きることになる。
もはや、どんな理不尽な目に遭わされてもまったく反逆もしない。罵倒されても、鞭打たれても、飢餓に追いやられても、支配者に従い、賛美して、生きていく。心の中にくすぶる不満は、自分自身で抹殺する。
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全身全霊で従わなければならない「神の声」?
私たちは部外者なので、北朝鮮の国民が奴隷化されていることは分かる。しかし、北朝鮮の国民が全員それを自覚しているわけではない。中には、自分が奴隷化されていることに気がつかずに隷属する人も大勢いる。
「個人のすべては全体に従属すべき」という全体主義の中で生きると、指導者の声は全身全霊で従わなければならない「神の声」になってしまう。自分の自由が極度に抑圧され、凄まじい隷属であるにも関わらず、神の声には進んで従う。
子供の頃から体制に従順であることが当たり前になると、それが世界のすべてと化す。だから、そこに疑問を持つということができなくなる。その結果、自分の置かれている奴隷的な立場が見えなくなってしまう。
指導者は、「国民を考えさせない」ことによって、自分に反旗を翻す人間を出さないようにしている。つまり、意図的な「衆愚政策=考えさせない政策」を取っている。この衆愚政策というのは、人間を奴隷化するための体制側の「戦略」となる。
北朝鮮では情報を完全封鎖し、体制側に都合の良い情報を一方的に流すことによって「衆愚政策」を推し進めている。
私たちにとって金正恩は国民を弾圧している独裁主義者であるが、北朝鮮の中で金正恩は「人類平和の守護者」「偉人中の偉人」「人類の太陽」とか馬鹿馬鹿しい呼称で呼ばれている。そんな呼称を信じさせられるように教育されるのだから、いかに衆愚政策が徹底しているのかが分かるはずだ。
そう言えば似たような国がある。中国だ。中国も情報を厳しく規制しているが、それは体制に不利な情報を隠して、都合の良い情報だけを流すことによって国民をコントロールするためだ。インターネットもシャットアウトして、情報を与えない。考えさせない。
そして、中国共産党が出す都合の良い情報だけを人民に信じさせる。
それは非常に原始的で分かりやすい「衆愚政策」であり、昔から奴隷を奴隷という身分に固定化するために使われていた手段だ。情報を与えないことで、「愚か」になる。愚かになることで指導者に従うしかないと思うようになる。
独裁国家や全体主義国家が往々にして衆愚政策を行うのは、従わせるためなのである。
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考えることも禁じて、現状が当たり前だと思わせる
衆愚政策の歴史は古く、その政策は世界中で使われてきた。たとえば、インドではダリット(不可触民)という「人間ではない」と呼び捨てられている人たちがいた。すでにカーストは法律で禁止されているのだが、インドでは依然として社会の裏側でカーストが社会に根付いている。
かつて、ダリットに対する扱いは苛烈だった。彼らはまさにインド社会の「奴隷」でもあった。人間ではないと決めつけ、排泄物の処理や、動物の死骸の始末や、ゴミの処理や、苦役とも言うべき肉体労働を押しつけていた。
その差別のひとつとして「教育を与えない」というものもあった。なぜ教育を与えないのか。考えると自らの立場を「知る」ことになる。知ると自分自身の頭で考える。そうすると、社会がおかしいことに気づく。
そこに気付くと自分たちを押さえている上の人間や社会に対して激しい「反抗心」が芽生える。そして、現状を変えようと「立ち上がる」人間が出てくる。立ち上がった人間が声を上げ始めると、奴隷状態に置かれていた人間が次々と「目が覚めて」しまって、奴隷制が維持できなくなる。
上層部にとってそれは悪夢である。
「知る→反抗心→立ち上がる→目覚める」という流れを封じるにはどうするか。最初の「知る」の部分を封じれば良いということなのだ。
だから、教育を与えず意図的に無学な人間を作り出して「考えさせない」ようにする。あるいは教育を打ち消す「スポーツ・スクリーン・セックス」のような娯楽を与えて「考えさせない」ようにする。
教育とは何か。教育とは知識である。「考える能力」である。奴隷を奴隷のままにしておくには考える能力を奪うことで達成できる。悪辣な指導者は、はるか昔からそれに気付いていた。有益な知識を与えず、「考えさせない」ことが、支配を確固たるものにする最重要課題だったのである。
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奴隷に見えないが、よくよく考えると実は奴隷だった
私たちは部外者なので、外国のどこかで異常な扱いをされている特殊な集団を見ると、彼らが国家や社会に奴隷化されていることは分かる。
しかし、当の彼らは、自分が奴隷化されていることに気付いているとは限らない。子供の頃から「これが当たり前なのだ」という教育を受けて、理不尽を受け入れていると、それが世界のすべてとなる。
そうやって、自分が奴隷化されていることが分からなくなる。部外者は分かるが、当事者は分からない。
支配する人間にとって、「教育」や「考えること」は一部の人間、すなわち体制側の人間や為政者やエリートだけが受けていればいいのであって、自分たちが支配する国民層は「言われたことだけをロボットのように行う人間」であることが望ましい。
いちいち何かを考えて、体制側のシステムに立ち向かって反旗を翻すような人間が増えるのは、独裁主義的かつ全体主義体制を敷く指導者は望んでいない。余計なことを考える人間がいたら抹殺するし、最初から出ないようにしたいと考えている。
あなたは、そんな国に生まれなくて良かったと思っているかもしれない。あるいは、「日本のように」何でも自由に考えて発言できる国で生まれて良かったと胸を撫で下ろしているかもしれない。
しかし、ここで「奴隷は自分が奴隷であるということに気付かない」という本質を改めて気付かなければならない。
部外者から見たら、私たち日本人も立派に「奴隷」なのだが、私たち自身は「自分が奴隷だと思っていない」だけだと言うのが真相だったとしたらどうだろうか。
日本は同調圧力も強い国である。労働は長時間で、規制も多い。税金もべらぼうに高い国だ。しかし、国民は粛々とそれに従っている。国外の人々から見たら、日本人も独裁国家さながらの奴隷的人生を送っているように見えるかもしれない。
「一見自由を与えられているように見える。奴隷に見えない。しかし、よくよく考えると実は奴隷だった……」
もしかしたら、私たちも知らないうちに社会に奴隷化されている可能性もある。まさかと思うかも知れないが嘘ではない。しっかり情報を求めて考えるべきだ。「知る」ことの重要性に気付くべきだ。
それをしなければどうなるのか。気付いた時は、もう手遅れになっている。北朝鮮の国民や、中国の人民や、インドのダリットたちを哀れだと思っている私たち自身も奴隷かもしれないのだ。
社会について、もっと「考える」べきだ。
