
「超」高度情報化社会には、「超」高度な才能を持った人間が要る。日本社会がそれに気付かないのであれば、日本は今後のDX(デジタル・トラスフォーメーション)の時代に出遅れて沈没する。素晴らしい能力を持った子供たちは平均的な能力に丸められ、国全体が大きな損失をこうむることになる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
「高度に専門化された能力」に高額報酬を支払うことを決意
コロナ禍も相まって、世の中は怒濤のデジタル化への転換《シフト》が生じている。これを専門用語でDX(デジタル・トラスフォーメーション)と呼ぶ。
世の中の多くの業務がインターネットとネットワークに取り込まれ、ソフトウェアでコントロールされる。そのために、こうした業務にプロフェッショナルに対応できるDX人材が企業間で争奪戦になっている。
多くの企業は優秀なDX人材を確保するために特別に年収を上げており、年収1000万以上の人材も珍しくない。富士通などは「年収3000万~4000万円程度を支給する」と思い切った施策も取っている。
今の社会で最も稼げるのはDX人材なのである。この流れはこれからも続く。というよりも「超」高度情報化社会は始まったばかりであり、これからが本場なのだ。
これは何を意味しているのか。
今までの日本の企業は「終身雇用・年功序列」システムで動いていたが、いよいよそれでは企業は生き残れないことが判明し、優秀な人材に多額の報酬を払う真の「能力時代」に入ったことを示唆している。
高度情報化社会に突き進んでいる今、企業は高度な専門能力を持つ人間を切に求めていて、グローバルで優秀な人材の「奪い合い」になっている。年功序列だと、優秀な人材は引き抜かれてしまうのである。
今まで日本の技術が中国や韓国のような国に流出していったのは、まさに日本企業が優秀な人材に、優秀さに見合う賃金を支払わなかったからでもある。
日本企業も、ようやく「高度に専門化された能力」に高額報酬を支払うことを決意するようになり、それが加速している。平均的な能力しか持たない人間は切り捨てられ、逆に高度に専門的な知識を持つ人間が高給で雇用される。
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つまり、専門知識を持つプロフェッショナルが求められる
時代が高度情報化社会になればなるほど、その社会の中で競争力を保たなければならない企業は高度な能力を持った人材を必要とする。そのため、これからは2つの流れが同時に起きる。
1. 専門知識を持つプロフェッショナルが高額報酬を得る。
2. ただの平均的能力の人間は平均かそれ以下の年収になる。
企業運営の効率化と合理化が進んでいるが、それによって企業は少ない雇用で大きな成果が出せるように変化してきた。
巨額の利益を上げるために莫大な人材は必ずしも必要ではなく、インターネット、クラウド、アプリケーションの高度化によって、むしろ少数精鋭で莫大な利益を上げることができるようになってきている。
さらにこれからは、5Gによるパラダイムシフトが起きる。ビッグデータを解析する人工知能によって瞬時に決断が為され、ロボット化によってより高度でスピーディーな製造能力も確保できる。
だから、その高度化されていく技術を自社のビジネスに最適化させることができる能力が必要になる。つまり、専門知識を持つプロフェッショナルが求められる。こうしたプロフェッショナルは、どこにでもいるわけではない。
DX人材には希少価値がある。だから、DX人材は必然的に高額報酬を得るようになる。すでに日本以外の多国籍企業はすべてこうした人材に莫大な報酬を支払うようになっており、世界を見ると年収で億単位を稼ぐプロフェッショナルも普通にいる。
しかし一方で、どこにでもいる「ただの平均的能力の人間」は、人工知能やロボットの高度化によって、ますます要らない人材になっていく。そのため、ただの平均的能力の人間は平均かそれ以下の年収になる。
日本人の大半が平均以下であることに対して、やっと政府も「このままでは世界に出遅れる」ということに気付いてデジタル庁を創設した。しかし、デジタル改革関連法案は2021年4月6日に通ったばかりで発足は9月である。遅すぎる。
しかも、このデジタル庁は政治家や官僚の頭がデジタル化に対応できていないので、うまく機能しないのではないかという懸念も早くも囁かれている。日本は、「トップに専門家がいない」のである。
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「得意を伸ばす」教育ではなく、「欠点を消す」教育をしている
問題は「DX人材」だけにとどまらない。日本はすべてに関して超高度な能力を持つ専門家が出現しにくい社会であるという認識も必要だ。各分野で超高度な能力を持つプロフェッショナルが足りていない。
日本人の多くは「ただの平均的能力の人間」になるように教育を受けてきた上に、平均的であることが「バランスが取れて良い」と思い込んでいるので、ある突出した能力を持つ人間がなかなか登場しないのである。
日本の教育は「得意を伸ばす」教育ではなく、「欠点を消す」教育をしている。欠点を消すので平均的にそつなくこなせる人間になるが、欠点を消すことに時間をかけたので得意を伸ばすことができずに才能が腐る。
そのため、日本で突出した能力が次々と登場するためには、まずは今の「平均的な能力の人間」を作り出す日本の教育から変わらなければならないのだが、日本の教育が変わる気配はない。
だから今のままでは「教育システムが変わらないまま人材も国も時代遅れと化して朽ち果てていく」可能性が非常に高い。
しかし、そんな日本の環境でも隠しきれないほどの突出した能力を持つ子供もいる。適性のある分野に強い関心を持つ子供を、親や教師が最大限に環境を与えることによって、凄まじいまでの能力を持つようになる。
ところが日本企業は今も何となく年功序列で動いてるので、突出した能力を持つ人材をうまく引き留められなくて、外資にどんどん奪われていく。
すべての外資企業が優れているわけではないのだが、少なくともプロフェッショナルに高額報酬を支払うことに関してはまったく迷いがない。そのため、結局は外資に最先端の才能と能力を持つ人間が集まって、時代を切り拓くようになる。
日本にも突出した能力を持つ子供たちがいる。もし教育制度や社会制度が彼らの能力を生かすシステムになっていれば、超人的な能力を持つ人材は今の100倍、200倍は生み出せていたはずだ。
日本の教育は突出した才能を活かそうとしないので、才能はみすみす殺される。
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今後、ますます平均的な能力では生きていけない時代と化す
「超」高度情報化社会には、「超」高度な才能を持った人間が要る。日本社会がそれに気付かないのであれば、日本は今後のDX(デジタル・トラスフォーメーション)の時代に出遅れて沈没する。素晴らしい能力を持った子供たちは平均的な能力に丸められ、国全体が大きな損失をこうむることになる。
しかしながら、日本社会のあり方を嘆いても社会は変わらない。トップが時代に即していないので、日本はまだまだ劇的な転換《シフト》は無理そうだ。
今の時代では「超高度な専門知識を持つプロフェッショナルが生き残る」ことに気付いたら、自分が超高度な専門知識を得られる分野がどこなのか、その適性をしっかりと見極める必要がある。
自分の持っている「専門性」を最大限に生かすために自分を変える必要がある。幸運なことに、社会が求めている「専門知識」はDXだけでなく意外に広範囲に渡っているので、自分の適性のある分野でプロフェッショナルになれば需要が必ずある。
どの分野で生きているにしろ、その分野の「専門家」でないと、これからは生きられない。グローバル化を突き進む中で生き残るためには、それぞれの分野の専門家になることだったのだ。
それができれば、高額報酬を得られるだけでなく、入った企業が仮につぶれても専門知識で渡り歩いて生きることができるようになる。それが今後の時代に相応しい生き方であると言える。
今の企業は人を捨てる。企業は国境を越えてどこにでも行ってしまう。また、企業の競争相手が「全世界」になるので、競争過多で業績は変動し、倒産しやすくなる。
自分の寿命よりも、企業の寿命のほうが短くなる。そんな破滅的な時代になるというのに、専門知識や専門技術を持たないで世の中に出て生きていけると思うほうが間違っている。
今後、ますます平均的な能力では生きていけない時代と化す。何の専門を持たない人間は、単なる機械の部品のような労働をさせられて人生が終わる。一刻も早く専門技術を持つことだ。今後の動乱の時代に生きていくには、何らかのプロフェッショナルになるしかない。
