阪神淡路大震災と東日本大震災は、現代日本を震撼させた凄まじく巨大な地震災害だった。
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災はマグニチュード7.3だった。死者は6434人、負傷者は4万3792人、警察に届け出があった行方不明者は3名、被害総額は約10兆円だった。
2011年3月11日に起きた東日本大震災はマグニチュード9だった。死者は1万5893人、重軽傷者は6152人、警察に届出があった行方不明者は2553人、被害総額は約16.9兆円だった。
しかし、日本人のすべては「これで終わり」ではないということを知っている。終わりどころか、このふたつの地震をはるかに上回る日本を完全破壊してしまうほどの地震が来てしまうかもしれない。
それが、南海トラフ大地震である。
内閣府は太平洋南海トラフを震源とする地震が起きた場合、死者は最大32万人に達するという想定を出して国内外に衝撃を与えた。
もし南海トラフ巨大地震が起きたら、その死者は東日本大震災の約21倍にもなる。関東大震災の死者は約10万人なのだが、それと比べても3倍以上の被害である。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
超巨大地震が起きる可能性
地震の予知はできない。しかし、日本で次の巨大地震は必ず起きる。それは、忘れた頃に再びやって来るのである。
太平洋プレートが動いている。その結果、フィリピン・プレート、北米プレート、ユーラシア・プレートのすべてが影響を受け合って、今後も超巨大地震が起きる可能性が非常に高くなっている。
この3月11日の大地震のあとにも、数え切れないほどの余震が日本に発生している。
海洋研究開発機構は、2011年3月の大地震以後、宮城・福島両県沖の太平洋プレート(岩板)内部にかかる力の向きが変わって、プレート内で「大地震が発生しやすくなっている」ことを米地球物理学連合の学術誌に発表した。
太平洋プレートは、北米プレートの下に潜り込んでいて、どんどん下に向かって押し込まれている。
今まではそれに抵抗する力もあって、断層(要するに地殻の切れ目)が深くならないようにバランスが取れていた。ところが、東日本大震災以後は、この抵抗力がなくなり、断層がより深くまで延びやすい状態になっている。
だから、岩盤(プレート)がちぎれて震えやすくなっており、まさにこれこそが「大地震が発生しやすくなっている」という状況を生み出している。
ただし、これも諸説があって、断層が深く延びやすい状態になったから巨大地震が起きると結びつけるのは短絡的だという声もある。
断層は海底の深いところに存在しているので、おいそれと正確なデータが揃うこともない。しかし、太平洋プレートという岩盤が下に押し込まれて亀裂が入って、それが地震を引き起こすことになるという事実は否定されていない。
大地震になるとは限らないと言われているだけで、地震は来ないなどとは誰も主張していない。大きいか小さいかが議論されているだけで、地震が来るのは間違いないのである。
地殻が変動している。大地震の起きる確率はまったく減少していない。地殻が変動しているときにどこが一番危ないのかというと、もちろん「日本」なのである。
何しろ、4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国が日本なのだ。世界中見回しても、これほど危険な国はどこにもない。
現象として起きるのは分かっている
太平洋の北米側のマントルが上昇して新しいプレートが生産・拡大されて西側に移動していくが、その結果、太平洋の西端にある日本海溝でそのプレートが沈み込んでいく。
沈み込んだプレートが戻ろうとしては地震が起き、戻りきれずに岩盤が割れても地震が起きる。これが、日本海溝の下で壮大なスケールで起きている。
つまり、地殻が変動していると言うと、真っ先に影響を受けるのは、日本だ。地殻の変動、あるいは地震に対して日本人が敏感になるのも当然だ。
しかも悪いことに、地殻は一カ所が問題なのではないことだ。
日本列島の太平洋側のほぼすべてが太平洋プレートによって東側から西側に押し込まれている形になっている。
これが何を意味するかというと、今の日本は「どこで大地震が起きてもおかしくない」状態になっているということだ。
折しも南海トラフ巨大地震が注目されているが、そこだけに着目しても意味がない。北海道で起きても、東京で起きても、大阪で起きてもまったく不思議ではない。これは、全日本人の問題なのだ。
太平洋プレートが動いており、それによって日本列島が東から押し込まれた形になっている。
現在は大きな力によってひずんだ状態のままであり、これが戻ろうとする力がいずれ新たなる大地震を引き起こす。
今はそういう状態にあるのだから、今後日本でまた巨大地震が起きたとしても何ら不思議ではないし、むしろ「緊急事態宣言」が発令された状態であると思いながら生きるほうが正しい。
「30年以内には巨大地震は必ず起きる」ことは確約されている。
いつそれが来るのかを探り当てようとするのは意味がない
しかし、私たちが分かっているのはここまでだ。分からないのは「いつ、それが来るのか?」という部分である。
それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、来年かもしれないし、3年後かもしれない。
現象として起きるのは分かっているが、いつ起きるのかは分からない。
また、次が起きる場所が、自分のいるところなのか、自分とは関係のない遠いところなのかも分からない。
このように「地震が必ず来るが、いつ来るかは分からない」という状態になると、決まって出てくるのは「それがいつ来るのか?」に熱中する人だ。
しかし、いつそれが来るのかを探り当てようとするのは意味がない。なぜ意味がないのかというと、こういった予測はあまりにも不確実性が高いものだからである。不確実な上に、予期せぬ偶然や、ノイズや、自然現象が重なったり影響しあったりするので、確実な予測ができない。
予想外のことは常に起きるし、予想していたことは常に起きない。つまり、地震の予測どころか、明日がどんな日になるのかも誰も分からない。
日本科学未来館・科学コミュニケーターの坪井淳子氏も、明確にこのように言っている。
「かつては地震予知が可能であることを前提として、防災対策が策定されていた時期もありましたが、現在ではその可能性ははっきりと否定されました」「現在の科学でかろうじてできるのは、過去の傾向をもとにした”予測”です」
「予報」「予測」「預言」「予知」に熱中したり、気を取られたりするのは、おおよそ意味のある行動ではない。それは単なる暇つぶしであり、娯楽みたいなものだ。
重要なのは、日本で生きている限り、どこにいても被害に遭う可能性があるという事実を認識し、それがやってきた時はどのように行動すべきなのかを再確認しておくことなのである。(written by 鈴木傾城)