リベラルやマスコミに好き放題にさせていると世の中がどんどん悪くなるのだ

リベラルやマスコミに好き放題にさせていると世の中がどんどん悪くなるのだ

欧州の各国で生まれている「自国の歴史や文化を守りたい」という動きは、マスコミにおいては常に「危険な極右の躍進」とあからさまに否定的な書かれ方になる。極右でなければ「レイシスト」と書くことも多い。これはフランスだけに限った話ではない。全世界でそうなのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

リベラルの正体は「国家破壊主義」

2020年10月16日、フランスで凄惨な事件が起きた。イスラム教徒が、フランス人の教師の首を切断して殺すという事件だ。

何があったのか。

中学校の歴史教師だったこの男性教師は、最近の授業でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を子供たちに見せていた。この風刺画というのは、言うまでもなく『シャルリーエブド紙』が掲載した風刺画である。

シャルリーエブドの風刺画で、2015年には編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人が殺害されるという凄惨な事件が起きたのは記憶に新しい。これは多文化共生というリベラル派の妄想が粉々に打ち砕かれた事件であった。

この事件によってフランス人は「テロに負けない」と団結を見せていたのだが、このテロはそもそも多文化共生みたいな主張で、国内に大量のイスラム教徒を流入させたことによって引き起こされた事件であることは明白だった。

マスコミは「テロによってフランス人は逆に団結した」とか馬鹿馬鹿しい論評を出していたが、実際にはこのテロによってフランス国内では「移民反対、多文化共生反対」を叫ぶ極右が大きく票を伸ばすことになり、国内のリベラル派との断絶はどんどん深まっていた。

さらに、イスラム過激派も別に事件を起こしたことを反省したわけでもなく、「イスラムの風刺画を載せたら何度でも殺す」と断言して、その後も次々と事件を引き起こしている。

それでも、マスコミは多文化共生を反省することもないし、リベラルもイスラム教徒に出ていけというわけでもない。むしろ、マスコミやリベラルは、多文化共生に反対する人たちの方を「レイシストだ」「右翼だ」「極右だ」と叫んで批判するという信じられない態度を見せる。

「多文化共生」「移民反対」を訴えると、問答無用に「レイシスト」とレッテルを貼るのである。リベラルの正体は「国家破壊主義」であると賢明な人々は知るようになりつつある。

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極右がヨーロッパに突きつける問題

「フランスはフランス人の国だ。キリスト教徒の国だ」
「フランスにイスラム教徒の移住が必要なのか」
「ヨーロッパはすべて多文化主義である必要があるのか」

それが、多文化共生や移民に反対する人々が、全ヨーロッパに突きつけている「問題点」である。

移民たちは、フランスの文化的な成り立ちを無視する。関心も持たない。大量にやってきて教会にも帰属しない。フランス国内でモスク(イスラム寺院)を次々と建て、土地を侵略していく。イスラムを絶対的に信奉してキリスト教に敵対する。

これらは侵略(インベイジョン)と思われても仕方がない。

ところが、自国政府もマスコミもそれを容認して、逆に「移民排斥は人種差別主義」とレッテルを貼って自国民に何も言えないようにしているのである。

フランスが昔から培ってきた宗教、文化、共同体が否定されて、変質を余儀なくされている。多文化共生や移民に反対する人々は、それが我慢できないと叫んでおり、そしてそれがフランスの底辺で支持されるようになってきているのである。

多文化共生や移民に反対する人々は、国や伝統や文化を愛している。ところが、マスコミは狂ったようにこう伝える。

「狂信的な伝統主義者」
「極右」
「時代遅れの保守派」
「差別主義者(レイシスト)」……。

しかし、これらのレッテルはあまり本質を表していない。フランスの今までの文化を大切にしたいというだけで、なぜ「極右」だとか「差別主義者(レイシスト)」ということになるのか。

現在、ヨーロッパのあちこちで同じような「考え方」が若者を中心に広がり、大きな政治的勢力になっている。マスコミに言わせると「極右が台頭」しているということになる。

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「自国の歴史や文化を守りたい」は極右?

欧州の各国で生まれている「自国の歴史や文化を守りたい」という動きは、マスコミにおいては常に「危険な極右の躍進」とあからさまに否定的な書かれ方になる。極右でなければ「レイシスト」と書くことも多い。

これはフランスだけに限った話ではない。全世界でそうなのだ。

しかし、極右と言われている団体の中身を検証すれば、「多文化主義が国家国民のアイデンティティを崩壊させる」「伝統や文化を破壊してしまう」と現状認識して、それを食い止めようとする強い正義感が根底にあることが分かる。

要するに「侵略から国を守ろう」としているのである。

多文化主義によって文化がバラバラになり、国家が体を為さなくなるという心配が普通の人たちにあるのだ。グローバル系のマスコミはその民族主義的な考え方を一方的に「極右」と吐き捨てているのだ。

マスコミはあまりにも偏向しているのだが、「マスコミは偏向している」という声は「報道しない自由」によって抹殺される。

マスコミはリベラル(国家破壊主義者)の声は伝えるが、侵略から国を守ろうと思っている人たちの声はまともに伝えない。

しかし、それでも、世界のあちこちで「多文化主義の押しつけは国家破壊の戦略」であるということを悟るようになっている。

これは国家という存在を破壊しようとするグローバリズムと、国を守ろうとするパトリオティズムの戦いだ。しかしマスコミは、そういった対立構造があるというのを知られるのを嫌い、対立構造を明確に報道しようとしない。

しかし、マスコミがこの対立を隠したり、民族主義を極右と吐き捨てたり、矮小化したりしても、現実に起きていることを隠しきれるとは思えない。

多文化主義の押しつけが激しくなればなるほど、逆に人々の反発も強いものになっていくからだ。

どちらが正しいとか間違っていると言う前に、マスコミによって無理やり押しつけられている多文化共生やリベラル思想に、巨大な反発が起きているのが現状だ。

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多文化主義は無用な対立と衝突を引き起こす

人々は同じ宗教の中で育ち、それが共同体(コミュニティ)と文化を創り出してきた。そして、多くの国民は基本的にはそこに安定感を見い出している。平和で安心できる生活環境は、自分と同じ伝統や文化を信じる共同体が生み出す。

なぜ、同じ共同体で暮らすのが良いのかというと、基本的にそれが一番「摩擦と憎悪と対立を生まない」からである。同じ共同体で暮らすことによって、人々は今まで無用な対立を避けていた。

同じ価値観を有していることで、人々は自分の人生の重要なことに打ち込めるし、淡々と生活が送れるし、子供たちを安心できる環境の中で育てることができる。その共同体を国家や国境が守ってきた。

対立や摩擦は国家に任せ、個人は静かに生きることを求めてきた。

国家や国境は、実は「平和」と「安定」のための防波堤だったのである。それは人間社会が自然に生み出してきた知恵であったとも言える。

隣の人が、まったく違う人種で、まったく違う文化で、まったく違う言語を話して、まったく違う宗教だったら相互理解が難しくなる。しかも、相手側が自分たちの価値観と権利だけを主張するようになると、対立と衝突は避けられない。

自分たちの主張が受け入れられないと「差別だ」と騒ぎ、 あげくの果てにテロや暴動を引き起こして治安を極度に悪化させるのであれば、誰でも多文化共生はおかしいのではないかと思って当然だ。

マスコミの言う「多文化主義」は無用な対立と衝突を引き起こしており、人々は次第にこうしたものに背を向けている。

今の世界では「多文化主義は反対だ」と気軽に言うことができない時代になっているので人々は声高に叫ばないが、選挙で「多文化主義は反対」という議員に票を入れることはできる。

しかしリベラルやマスコミに好き放題にさせていると、世の中がどんどん悪くなる。首を切断されて放り出されるような社会になる。だから、マスコミが「極右団体だ」と罵倒する団体に人々は共鳴し、票を入れるようになっているのである。

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