誰もが「超高度情報化社会」に適応するためにITリテラシーを身に付けていけばいいのだが、仕事で使えるほどの能力を机上で参考書でも読んで身につくのだろうか。何を学ぶにしても「基礎知識」が必要なのだが、では政府は国民に「基礎知識」を与えていたのだろうか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
会社を辞められずに追い込まれる理由は複合的
政府は「リスキリング(学び直し)をしてさっさと成長産業にいけ」と言い出しているのだが、実は中高年はほとんど動いていない。転職したいという願望はあるのだが転職しない。
総務省の2022年の労働力調査(詳細集計)では、2019年から2022年までのデータを見ても、転職数は2019年からむしろ下がっている。
なぜ、こういうことになっているのか。
それは、転職してもリスキングが評価されるとは限らないという現実があるからだ。中高年が離職すると次の転職先を見つけるのは苦労する。見つかっても、正社員ではなく非正規雇用者になってしまう確率の方が高い。
たとえば2022年のデータを見ると、「正規の職員・従業員数は前年に比べて1万人の増加」だったのだが、「非正規の職員・従業員数は前年に比べて26万人の増加」であった。こういうデータを知らなくても、非正規雇用者になってしまう確率の方が高い事実はサラリーマンなら誰でも肌感覚でわかっている。
つまり、政府のやっていることは「リスキリングしろ、失敗したら自己責任」と言っているのも同然なのである。
そんな中で「よしリスキリングで転職だ」と思う中高年はほとんどいないはずだ。非正規雇用者は低賃金・悪条件になる場合が多いし、景気が悪化したら真っ先に捨てられる存在だ。正社員がリスキリングしても次の転職先が非正規雇用者になる確率が高いのであれば、「誰がそんな不利なことをするのか」という話である。
そもそも、「学び直し」と言っても、口で言うほど簡単なものでもない。
超高度情報化社会がもっと進んでいくので、そうであれば誰もが「超高度情報化社会」に適応するためにITリテラシーを身に付けていけばいいのだが、仕事で使えるほどの能力を机上で参考書でも読んで身につくのだろうか。
何を学ぶにしても「基礎知識」が必要なのだが、では政府は国民に「基礎知識」を与えていたのか、国民はそれを政府に問う必要がある。
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職種を代えてうまくやっていけるほど器用ではない
今、成長している企業はすべてハイテクで成り立っている。企業がさまざまな情報をコンピューター上で行うようになり、社内ネットワーク(イントラネット)によって意思決定・周知・分析までを行う時代になっている。
インターネットがビジネスでもっとも重要な要素となり、インターネットを取り巻くイノベーションが会社を変えるようになった。今、時価総額の巨大な企業はほぼすべてがハイテク企業であるのを見てもわかるとおり、これは、ますます顕著な現象となっていく。
今は何かの仕事をしようにも、ITの高度なリテラシーがないと、まったく仕事にならない。当たり前だが、今はもう「パソコンが操作できる」くらいでは何の意味もない。それは「文字が書ける」と言っているのに等しい。
しかし問題は、誰もが加速していくハイテクの社会に対して適応性があるわけではないということだ。人には多種多様な個性がある。「コンピューターがどうしても合わない」「デジタルが合わない」人も当然いる。
今どきハイテクに無関心な人は「絶望的なまでに時代に合わない人」と断定されるのは言うまでもない。高齢層なら仕方がないとしても、中高年でも若者でも時代に合わない人はいくらでもいる。
だが、仕方がないことでもある。
すでに20年以上も前から高度情報化社会になるとわかっていたのに、「政府は国民に時代を見据えた教育」をしてこなかったし、ハイテクの「基礎知識を意識的に教える」ということもしてこなかった。
つまり、政府は長期戦略を持って国民のリスキリングを教育レベルからやってこなかった。すべて「自分でなんとかしろ、なんとかできなかったら自己責任」で終始していたのである。
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自分はできないことを強要している社会学者や大学教授
経済産業省は2020年12月28日に『DXレポート2(中間取りまとめ)』という報告書を出しているのだが、その中で以下のように記している。
『デジタル変革に対する現状への危機感を持つ国内企業は増加しているものの、「DXの取組を始めている企業」と「まだ何も取り組めていない企業」に二極化しつつある状況です』
突き進んでいくデジタル化の社会は、変化を強制する。「DX(デジタルトランスフォーメーション)」についていけない企業はどんどん首が絞まっていく。真綿で首を絞められるように追い詰められていく。
だから、どこかの社会学者だか大学教授だかがメディアに出てきて、したり顔で「時代遅れの場所にしがみつくな」「DXを取り入れた成長企業に就職しろ」「新しい技術を覚えろ」と言い放つ。
しかし、国民はこれまで「ハイテクを深く理解するための基礎知識が与えられなかった」という現実を忘れている。「新しい技術を覚えろ」というのは簡単だが、覚えるためにはまずは基礎知識が必要だ。
基礎知識は、付け焼き刃で身に付くものではない。ハイテク技術は、それこそOSの仕組みから、ネットワークの仕組みから、アプリケーションの習得から、次世代の技術までかなり多岐に渡っているのでなおさら理解に時間がかかる。
それこそ社会学者は「お前がやっていることは役に立たないから、明日からネットワークエンジニアになれ」と言われたとき、明日からネットワークエンジニアになれるのだろうか。
いや、「職種が違う」とか「それは私の関心のある仕事ではない」とか言い出してネットワークエンジニアにはならないだろう。
テレビに出て偉そうに適当なことを言っている大学教授もそうだ。「お前は下らないことしか言っていないから、もう明日からプログラマーになってPythonでプログラミングしろ」と言われて、プログラマーに転身できるだろうか。
「大学教授の俺様は、今さらそんなことをする理由がない。新しい技術は助手がやる」とか言って激怒するだろう。要するに、自分たちは「成長産業に就職しろ」「新しい技術を覚えろ」と簡単に言うのだが、自分はできないことを強要しているのだ。
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民間一体の長期戦略で国家を導いてこなかった
日本政府が社会の構造を変えたいと思うのであれば、それこそ10ヵ年計画のようなものを策定して、子供の教育・就職環境・時代に合わない人たちの救済などを包括的に進めていかなければならなかったのだ。
国民の努力だけを期待して「リスキリングしろ、失敗したら自己責任」みたいな方策でやっていると誰もついていかないし、社会も変わらない。それは、たまたま時代に適応できた少数の成功者と、莫大な失敗者を生み出すだけで終わるだけだ。
では、世の中がハイテク中心の社会になるのは「最近になってわかったこと」なのだろうか? いや、何度も繰り返すが、そんなことはもう10年も20年も前からとっくに「わかっていたこと」なのだ。
もし10年や20年も前に、義務教育の中でハイテクの基礎知識が「国語・算数・理科・社会」並みにきちんと教えられて、国民に徹底した啓蒙や育成がなされていたら日本は世界をリードする国家となっていたはずなのだ。
しかし、政府は日本の次世代を「世界で戦える国」にするために、社会や国民を変えていこうとする遠大で重要な計画に取り組まなかった。
それで今ごろになって慌てて行き当たりばったりに、「DX(デジタルトランスフォーメーション)だ」「リスキリングだ」と空虚なスローガンを言っている。
日本を最先端の国にするという重大な方針と決意と行動を政府が示さないで、ただスローガンだけ唱えて社会が変わるわけがない。「国民が勝手に成長しろ。失敗したら自己責任」みたいなやり方をしている限り、日本の社会は遅れていく一方だろう。
国の方向性を変えていくというのは、政治の役割であったが政治家はそれを果たしてこなかった。民間一体の長期戦略で国家を導いてこなかった。スマートフォンでも、キャッシュレスでも、人工知能でも、日本は遅れていく一方だ。
政治の無策はここにも現れているのだと思っている。