2017年7月7日、フジテレビ社長の宮内正喜新社長は視聴率がズルズルと下がっていく状況を「今のフジテレビは平時ではない。非常事態」と危機感を表明していた。
それから2ヶ月経っても状況の改善は一向になく、今度は9月4日に同局編成部長が再び「フジは完全に非常事態です」「美辞麗句を並べるつもりはありません」と発言している。
広告収入も激減してフジテレビの上期は赤字確定と報道され、今のフジテレビは、まさに凋落していくテレビ局の象徴となってしまった。
さらに全体を俯瞰すると、フジテレビだけでなくテレビ業界全体がこれから凋落していくのは決定的になっている。
インターネットリサーチの調査ではテレビ局に対する信用はもう4割を下回っており、若者のテレビ離れも深刻化しているわけで、凋落を回避する手はない。
そして今、政府は「電波オークション」の導入を検討するとしている。政府による電波利権の切り崩しが始まるわけで、これもテレビ局の大きな逆風になる。
逆風と言えば、今はインターネットが映像を取り込むようになり、ユーチューブなどが着実に浸透した。もはやテレビ局の「電波利権」に守られた寡占が急激に意味をなくしている。
テレビの凋落は、もう隠せないものになっている
総務省は電波法に基づいて放送局に「放送免許」を与えているのだが、それは厳しく査定されている。そのために通常の企業が容易に放送局を持つことができず、放送業界は事実上の「寡占企業」でもあった。
だから、テレビ業界は自分たちの好き勝手に世論を操作できていたのである。
しかし時代は変わった。インターネットではユーチューブを筆頭に多くの動画サイトが台頭するようになった。誰もが、自分の好きなものをインターネットで見ることができるようになったのだ。
今まで人々は「日常で気軽に映像を見たい」と思えば、テレビを見るしかなかったのだが、これからはテレビではなくインターネットが最初に選ばれるようになっている。
当然だ。テレビは「見たいものをすぐに見る」というニーズに合っていない。映像を飛ばしたり巻き戻したりして「見たいものだけ見る」というニーズも満たしていない。
つまり、時代遅れと言うしかないメディアになっている。
テレビは自分たちが映したいものだけを映す。自分たちの都合の良いものだけを映す。都合の悪い意見や映像は決して見せない。偏向し、歪曲し、捏造する。
日本は言論の自由が守られているので、どんな意見があったとしても発言する機会は守られるべきだ。
しかし問題は、テレビ局が一方に偏った意見を世の中のすべてのように報道することだ。そこに映っているのは一面では事実かもしれないが、他の意見を完全に黙殺することによって世論を歪める。
それは、自分たちの都合の良い方向に誘導する偏向報道の汚い手口である。テレビの巧妙な世論誘導の手法は他にもいくつもあるが、あらゆる偏向をずっと繰り返してきた。
「放送免許」に守られた寡占があったから、そんなことができたのだ。
ところが、今や多くの人々がインターネットで情報を得て、そこにある「生の動画」でテレビが決して報道しない意見をも知るようになっている。
テレビの「放送免許」に守られた世論誘導が意味をなくして影響力を急激に失っている。
テレビ局はインターネットでは完全に無力だ
もちろん、これからもテレビ局という巨大メディアの影響力は突如として消失するものではない。いまだにその影響力は、計り知れないものがある。
しかし、フジテレビが単体決算で赤字転落し、テレビ局全体が信用されなくなっているのを見ても分かる通り、凋落は隠せないものとなっている。その影響力は徐々に減退していく。
テレビには誰も逆らえないし、テレビの影響力を誰も凌駕できないと少し前の私たちは考えていたが、そんな時代はいよいよ終わろうとしているのだ。
今では自分で撮った動画はインターネットに流せば多くの人たちが見てくれるようになっている。人々やテレビ局の囲い込みから脱するようになったのだ。
見たいものだけを見る。何度も繰り返し見る。瞬時に検索で引き出して見る。世界中の人たちの動画を見る。マニアックだが自分が好きな動画を見る……。
こうした要望に、テレビは何ひとつ応えることができない。テレビは今の人々の要望に対応できていない。しかし、インターネットではそれが可能になっており、技術の進歩で映像の質もクオリティも上がってきている。
人々は見たいものを見る時代になっており、だからこそ要望に応えられないテレビが今後も寡占ビジネスでいることは絶対的に不可能なのだ。
テレビは決して消えることはない。しかし、ビジネスモデルは古臭く、業界は完全に縮小していく。必然的に、今までの強大なパワーは消える。
つまり、テレビからインターネットへの転換が起きて、結果としてテレビ局の世論操作をする力も消えていく。
下手な世論操作をしていると、2011年のフジテレビのように「偏向報道するな」という抗議デモが起こされて見捨てられることになる。
かと言って、インターネットの台頭に危機感を覚えた日本のテレビ局がインターネットを支配しようと思っても、そんなことは無理な話である。
インターネットは全世界につながった巨大なネットワークであり、たかが日本のテレビ局ごときがすべてを支配しようとしても不可能なスケールである。
日本のテレビ局が自分たちの都合の良いものだけ流れるように細工することなど最初からできない。
テレビ局がこれからもずっと君臨できるわけがない
今までテレビ局は「放送免許」を盾にとって放映権をコントロールしていたが、インターネットでは最初からそれができないので、最後には「大勢の中の小さな存在」と化す。
インターネットの場合、人々は自分の見たいものを検索エンジンによって引き出すが、日本のテレビ局が自分たちの番組だけ検索に引っ掛かって、残りは引っ掛からないようにしたいと思ってもできない。
テレビ局はインターネットの前では無力だ。何もできない。
「放送免許」にあぐらをかき、視聴者を囲い込んできたテレビ局はその環境をインターネットに奪われてしまった。だから、テレビ局の凋落はもう決定付けられている。
もうテレビ局のビジネスには未来がない。終わりだ。
インターネットで動画を配信するのに対してコストはかからない。自分の撮った、ちょっとしたビデオ動画をインターネットに載せて見てもらうのは、あきれるほど簡単にできてしまう。
それがどんな些細な動画であっても、それを面白いと思う人もいるし、実際に大量の視聴者が付く。インターネット時代では、何気なくアップしたさりげない動画でも、一瞬にして地球の裏側まで配信される。
そんな時代になっているのだから、下らない番組しか作る能力のないテレビ局がいつまでも世の中に君臨できると思う方がどうかしている。
物量でもインターネットに適わない。テレビ局が24時間ぶっ通しで何かを放映したとしても、その間にインターネットの動画サイトでは、テレビを上回る莫大な数の動画がアップされる。
しかもインターネットでは、ストック能力が無尽蔵であり、テレビのように「過去のものが見られない」という欠点はない。むしろ、過去のものがいつでも見られるのがインターネットの大きな利点なのだ。
たしかにネットに散乱するコンテンツは、玉石混淆の状況だ。しかし、テレビ局はそれを批判することはできない。なぜなら、テレビ局が見せるコンテンツも玉石混淆だからだ。
どのみち視聴者も玉石混淆だ。だから、ありとあらゆるタイプのコンテンツが膨大に提供されるネットの方が、完全に優位にあるのは間違いない。
こんな中でテレビ局は生き残れるのだろうか。もちろん、生き残るだろうが、その影響力は完全に喪失して斜陽産業と化す。
それは、テレビ局の人間が一番よく知っているはずだ。下らない世論操作をしていると、それだけ視聴者に見捨てられるのが早まるだけだ。
どの角度から見ても、すでにテレビ局の時代は終わっているのである。
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