時代はどんどん変わっていく。生き延びるには、ある種の危機感が必要だ

時代はどんどん変わっていく。生き延びるには、ある種の危機感が必要だ

昨日と今日は同じ日に見えるかもしれないが、時代は刻々と変わっている。時代が変わっていくとき、取り残される側の方にいると必要以上の苦労が延々と続く。

取り残される側に踏みとどまって努力することもできるが、その人生は決して楽ではない。どんな優秀な人であっても、取り残された業界では、「労多くして実りが少ない」結果に追い込まれる。

一方、これから伸びていく側の方にいると、それほどの努力をしなくても楽に生きていける。多少の失敗くらいは何の問題も起きないくらい大きな利潤が得られる。優秀でなくても、それなりの結果が得られることも多い。

「自分の立ち位置」が時代に合うかどうかだけで、人生は180度違ってくる。理不尽だが、これは事実だ。場合によっては、自分の立ち位置を思い切って変えなければ死ぬ。

これは、今に始まったことではない。常に人間を取り巻く環境は変わるのだから、いつの時代でも起こっている悲喜劇だ。たまたま、時流に乗ったか乗らないかで人生の明暗が決まる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

消えていく職業はたくさんある

かつて「活動弁士」と呼ばれる職業があった。本当の初期の頃の映画は「活動写真」と呼ばれていたのだが、この活動写真というのは「写真」というだけあって音声はなかった。俗に言う「無声映画(サイレント映画)」である。

そのため、音声のない映画を説明する人がいて、彼らを「活動弁士」と呼んでいたのである。この「活動弁士」は、映画で起きていることを説明するだけでなく、場を盛り上げるための役割も果たしており重要な仕事だった。

しかし、この活動弁士の仕事も、やがて映画に音声が流れるようになると急激に消えていった。

かつて「氷屋」と呼ばれる職業があった。まだ冷蔵庫が普及していなかった頃、氷屋は夏になると大繁盛していた。クーラーもなければ冷蔵庫もない時代、氷屋が運んでくれる氷は、まさに生活の上で必要不可欠なものだったのである。

しかし、この氷屋も、三種の神器のひとつとして冷蔵庫が爆発的に普及するようになってから徐々に姿を消すようになった。

まだ流通網が構築されていなかった時代は、「行商」もまた重要な職業だった。昔は今のように情報すらもなかった。どこに何が売っているのか分からない、どこに買いに行ったらいいのか分からない、何という商品があるのか分からないのは当然だったのだ。

そのため、様々な商品を抱えて家の玄関まで持ってきてくれる「行商」は、商品を知るという意味でも、各地の情報を聞けるという意味でも重宝されていた。要らないものを押しつけられるという側面もあったが、それよりも必要だったものが手に入るという利便性の方が勝っていたのだ。

しかし、この行商も大量生産時代に入ってスーパーマーケットのような店が爆発的に広がるにつれてどんどん廃れていき、やがて消えてしまった。

時代の波に流されて消え去ってしまった職業は山のようにある。今後も時流に遅れて消えていく職業は次々と出てくる。

出版社、新聞社、テレビ局、銀行、デパート等、先行きが危ういビジネスがいくつもある。そこで働いている職業人はやがて時代の波に叩き潰されてしまうこともあるだろう。

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変化と淘汰のスピードが加速している

時代はいくらでも変わる。どこの国でも、どこの産業でも、いつの時代でも、毎回、同じことが繰り返されている。

しかし、人間は時代が変わったからと言ってすぐに変われるわけではない。

人間は自分が長くやってきた仕事に対して誇りを持っているし、慣れているし、その世界を愛している。だから、先行きが暗いと気付いていても「いけるところまで」と考えて同じことを続ける。

そして、いよいよその仕事に対しての凋落が見えてきたとしても、長らくそれをやってきたので、もうそこから抜け出せなくなっている。そして、本当にどうにもならなくなって最後に淘汰されてしまう。

現代はこの変化と淘汰のスピードが異様なまでに速くなっている。そのため、昔よりも今の方が危険になっていると言える。うかうかしていると、私たちはあっという間に取り残されてしまう。誰もが例外ではない。

問題は、時代はどんどん変転していくのに、人間の意識はそう簡単に変えられないということだ。

20代ならいざ知らず、30代、40代、50代と歳がいけばいくほど、自分が長くやってきたことにこだわりが生まれる。淘汰される側にあると気付いても、捨てられない意地が生まれる。

自分が変われなくても時代は容赦しない。その結果、何をやっても努力が裏目に出るという恐ろしい目に遭わされる。

浜辺の砂で作った城と同じで、砂を積み上げても積み上げても時代の波が襲いかかって来て、そのたびに崩れてしまうのだ。

時代に合った側に立つと、努力すればするほど報われるのに、時代に合わない側にこだわると、努力は一向に報われないという地獄を見る。時代の流れというのは、それほど恐ろしいものなのである。

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時代の中心になっているコアの部分

ワープロが爆発的流行していた時代に、手書きにこだわっていた人がいたのは覚えているだろうか。パソコンが爆発的普及していく時代に、「あんなものは下っ端に使わせればいい」と言っていた経営者がいたのは覚えているだろうか。

インターネットが当たり前になり、メールでビジネスが進む時代になったのに、「電話とファクスじゃないと駄目だ」とこだわる業界があったのは覚えているだろうか。

スマートフォンでインターネットが手のひらにまで来ているのに、ガラケーにこだわってイノベーションから立ち遅れてしまった人がいるのを覚えているだろうか。

時代に取り残されたいと思うような人間はひとりもいない。しかし、それでも遅れる人は必ず出てくるのである。

時代に遅れると何が問題なのかと言うと、だんだん食べていくことができなくなる上に、時代の恩恵も受けられなくなり、その上に時代がどの方向に進んでいるのか読めなくなってしまうことにある。

「今までと変わらず普通に暮らしているのに、どういうわけか最近は生きにくい」というのは、時代に取り残されてしまったところに原因があることも多い。「自分の立ち位置」が時代に合うかどうかだけで人生は180度違ってくるというのは、そういうことなのだ。

今の時代は高度情報化社会なので、「有利な立ち位置」というのはどこにあるのか決まっている。インターネットとネットワークとアプリケーションが文明を再構築しているのだから、そこに関わる職業が有利な立ち位置なのである。

そのため、うまく立ち回るのであれば「インターネットとネットワークとアプリケーション」を高度に使いこなす仕事に就くか、もしくはそれを徹底的に応用した分野で仕事を得るのがいいのは誰が考えても分かる。

時代に乗るというのは、流行語を覚えるとか、その時代の珍妙なファッションを真似るという意味ではない。そんなものはどうでもいい。

必要なのは、時代の中心になっているコアの部分が何かを知り、理解できるように勉強をし続け、そこに自分のポジションを移していくことである。時代はどんどん変わっていく。生き延びるには、ある種の危機感が必要だ。(written by 鈴木傾城)

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時代が変わると街の光景も変わっていく。必要なのは、時代の中心になっているコアの部分が何かを知り、理解できるように勉強をし続け、そこに自分のポジションを移していくことである。時代はどんどん変わっていく。生き延びるには、ある種の危機感が必要だ。

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