テレビをだらだらと見て高度な専門知識が身に付くことは絶対にない

テレビをだらだらと見て高度な専門知識が身に付くことは絶対にない

テレビは雑学の宝庫で、朝から晩まで私たちに何かを教えてくれる。しかし、それでいて「テレビばかりみていると馬鹿になる」とはさんざん言われてきたことだ。

「テレビばかり見ている人間は馬鹿かもしれない」というのは私たちは経験的に知っている。

私たちは、テレビばかりを見て、いつの間にか馬鹿になった人は掃いて捨てるほど知っているからだ。逆にテレビを見ていつの間にか天才になった人の話はまったく聞かない。

もしテレビを見ていると次第に天才になっていくのであれば、朝から晩までテレビを見ている子供や、テレビを見るしかやることのない高齢者は次々と天才になっていって、日本は天才だらけになっていただろう。

現実は逆だ。テレビばかり見ている子供は愚鈍になっていき、言葉の発達も認識も遅れていく傾向にある。また、テレビばかり見ている高齢者は次第に無気力になり、認知症を発症したり加速したりすることもある。

テレビは朝から晩まで私たちに情報を与えてくれるが、それに接していると、次第に白痴化してしまうのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「考えたくない。考えるくらいなら死にたい」

大量の情報を死ぬほど浴びているのに、なぜテレビを朝から晩まで見ていると白痴化してしまうのか。その理由は1つや2つではない。

そもそも、テレビは何事も誇張し、大袈裟に騒ぎ、わめき、次から次へと強いインパクトを私たちに与えてくる。つまり、テレビが視聴者に与える刺激は非常に強いものがある。

インパクトを与えることによって、テレビは視聴率を上げようとするのだが、そのインパクトを朝から晩まで、来る日も来る日も浴び続けていると人間はどうなるのか。

急速に脳は防衛状態に入り、「考えないで受け流す」ようになる。つまり、思考停止に入る。前頭葉が働かなくなる。

強い刺激は感じているのでテレビに釘付けになるのだが、そのまま思考停止になってインパクトだけ感じている。つまり、刺激を受けて身体は反応しているのだが、脳だけが働かなくなっている状態だ。

嫌なことや世間の憂さを忘れたい人は、食事をして、ビールを飲んで、テレビを見るのだが、それは何をしているのかというと、自発的に、強力に、自分を「思考停止」に追い込んでいるのだ。

「考えたくない。考えるくらいなら死にたい」と無意識に思っている人は、世の中には山ほどいる。

そういう人たちがテレビを慰めにするのは、テレビがその「考えたくない」を実現してくれる道具だからでもある。

テレビは次から次へと雑学や知識を与えてくれているのに、それを見続けると馬鹿になるのは、一方的に強い刺激を与えられることによって脳が停止して、それが単に「雑音」として処理されるからだ。

雑音はいくら長い時間をかけて聞いても、それが人生を豊かにすることは決してない。そもそも、「雑音を聞き続ける意味とは何か」を考えることすらもできない。脳が思考停止しているからだ。

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テレビに座って得ている情報は、99%が無駄なもの

物事を覚え、深く理解するためには、集中力が必要だと言われている。専門知識を覚えるためには、そこに意識を集中し、何度も同じ知識に触れて反復しなければならない。

テレビで何かの教育番組をやっていたとしても、その知識は次の日に影も形もなく消えてしまっているのは、そこに集中していないし、一度きりで消えてしまって二度と接することもないからである。

テレビでやっている「何か」は、その99%は自分の人生や生活に関係のないものだ。そのために、何らかの情報に接しても、ただ単に暇つぶしにしかならない。

テレビに座って得ている情報は99%が無駄なものだと言っても過言ではない。その無駄なものに朝から晩まで付き合っているということは、一日のほぼすべてを無駄なもので時間を消費したということになる。

テレビでやっているのは雑学だ。雑学は「雑」とあるように、時間つぶしには最適だが、本物の知識ではないので、自分の身につかない。仮に付いたとしても、役に立たない。

私たちが本当に必要としているのは雑学ではない。必要のないものは、それにいくら時間をかけても意味がない。意味がないことは、いくらうまくやっても価値がない。

私たちに必要なのは、目的意識を持って選び取った知識である。自分が生きるのに必要な知識である。自分の人生を成り立たせてくれる専門知識である。

見て、聞いて、匂って、触って、食べて、感じて、考えて、手に入れた経験や知識は忘れない。また、自分が興味があって、じっくりと腰を据えて調べて、考えて、検証して、手に入れた経験や知識は確実に身につく。

専門知識はテレビを見て手に入るのではなく、自分でそこに集中して、それを覚えたいという切実な欲求と努力と向上心があって初めて身につく。

逆に言えば、努力しないと専門知識というのは手に入らないのである。少なくとも、テレビをだらだらと見て専門知識が身に付くことは絶対にない。思考停止にはなるが、知識向上にはならない。

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大切なことを反復して覚える機能を悪用するテレビ

専門の知識、専門の技術、専門の能力を向上させるためには、だらだらと一方通行で流れる情報に受け身になるのではなく、必要なものを必要なだけ「反復」しなければならない。これを勉強や練習という。

人間は、「それが自分にとって大切なものである」と分かったものに対しては、繰り返し反復することで手に入れる。これができない人は、何も手に付かない。

「反復」の重要性が分かって、重要なことについては何度も反復できる人は、人生で成功する秘訣を手に入れたも同然だ。早くそれに気付いた人は早く大成する。

大切なことを反復して身につけるという習慣がつかなかった人は何も成し遂げることができない。それほど「反復する」というのは大切なことである。

ところで、テレビはこの「大切なことを反復して覚える」という人間の機能を悪用をもしている。

大量の刺激を与えることで思考能力を奪い取り、思考停止にさせた脳に、今度は同じコマーシャルを執拗に反復することによって洗脳する。

同じコマーシャルを朝から晩まで繰り返し反復することで、それを脳に焼き付け、買わずにおられない消費ロボットのようにしてしまうのだ。

本来は大切な専門知識や技術や能力を反復して脳に刻み込まなければならない。しかし、テレビを見続けていると、その重要な部分がコマーシャルで埋まってしまう。

そして、コマーシャルの反復でそれが脳に焼き付いた人は、どこかでそのコマーシャルの商品を見たら、無意識にそれを買う行動に結びつく。

思考停止にされた上に、単なる消費ロボットにさせられてしまうのである。

どうすればいいのかは明白だ。テレビはだらだらと見るべきではないし、自分の大切な人や子供には見せるべきではない。他の有意義なことに時間を使った方が絶対に良い。テレビを見なくても、もう今の時代は困らない。

まだテレビに依存している人は、意識的にテレビから離れる方が幸せになれる。

思い切ってテレビを捨てた方が、世の中を見通せるようになる。思考停止がなくなり、下らないコマーシャルに洗脳されなくなり、頭が働くようになるからだ。このすがすがしさは、試す価値がある。(written by 鈴木傾城)

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まだテレビに依存している人は、意識的にテレビから離れる方が幸せになれる。思い切ってテレビを捨てた方が、世の中を見通せるようになる。思考停止がなくなり、下らないコマーシャルに洗脳されなくなり、頭が働くようになるからだ。このすがすがしさは、試す価値がある。

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