善意が生み出すディストピア。何でもハラスメントにして社会を停滞させるな

善意が生み出すディストピア。何でもハラスメントにして社会を停滞させるな

今、日本でどんどん社会を縛っているハラスメント告発運動も、それが極端(エクストリーム)に行き過ぎてしまうと、結局は「ハラスメント、ハラスメントと言っている社会をぶち壊したい」という逆の動きを台頭させてしまうことになりかねない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

次々と事件化するハラスメント

2019年2月18日。警視庁三田署が、大手ゼネコン・大林組の社員を強制わいせつ容疑で逮捕していた。この社員は学生を面接指導するという名目で自宅に呼んで強制わいせつをしていた。極度に悪質な「就活セクハラ」だとして糾弾された。

2019年8月30日。テレビ朝日は「報道ステーション」責任者が出演女子アナへの「セクシャル・ハラスメント」をしたとして、当該社員を懲戒処分としたことを発表した。処分されたのは49歳の男性だった。

2019年9月13日。新潟大学は、女子学生に「セクシャル・ハラスメント」や「アカデミック・ハラスメント」をしたとして、50代の男性准教授を停職1カ月の懲戒処分にした。

パワハラを巡る事件が、連日のように新聞沙汰になっている。

2019年6月26日。厚生労働省に職場の問題(パワー・ハラスメント)を巡って全国の地方労働局などに寄せられた相談件数を公表しているのだが、相談件数はうなぎ上りであり、2018年度は8万2797件もあったとされる。

パワハラで退職に追いやられたり、鬱病になったりする人も多い。では、パワハラは今になって急に増えたのだろうか。いや、厚生労働省の見解は「ハラスメントに対して社会的な関心が高まったことによって労働者が気づいて相談している」というものだった。

かつては、「世の中そんなものだ」というあきらめや絶望で泣き寝入りしていたものが、今の時代は被害者は声を上げるようになったということでもある。

無自覚なハラスメントもある

ハラスメントとは何か。ハラスメントとは相手に対して行われる「嫌がらせ」のことである。ひとことでハラスメントと言っても今の時代はあらゆるものがハラスメントだと名付けられており、かなり細分化している。

セクシャル・ハラスメント。パワー・ハラスメント。モラル・ハラスメント。アルコール・ハラスメント。ジェンダー・ハラスメント。アカデミック・ハラスメント。リストラ・ハラスメント。スモーク・ハラスメント。就活ハラスメント……。

加害者は、もちろん意図的に嫌がらせをしているケースも多いのだが、中には自分のやっていることが明確なる嫌がらせ(ハラスメント)であると分かっていないケースも意外に多い。

パワハラで懲戒処分を受けた加害者は、言い訳なのか本音なのか分からないのだが、常にこのように言う。

「まさか、自分がやっていることがハラスメントであるとは思わなかった」

なぜ思わなかったのか。

部下を怒鳴り散らしたり、無理難題の仕事を押しつけたり、責任をすべて部下のせいにしたり、飲み会の参加を強要したり、一緒に酒を飲むのを強要したり、自分の私用で何かさせたりするのは、昔からずっとやってきたことだからだ。

自分もそれを「やられていた」し、自分もやっている。そのため、あまりにハラスメントの環境に慣れてしまい、今さらそれが問題だとは認識できなくなる。

中には女性社員に卑猥なことを言ったり、身体を触ったり、ホテルに誘ったりするような悪質行為に走る犯罪的な上司もいることは新聞沙汰になっている事件を見れば分かる。

しかし、大部分は「あからさまにセクハラだが、本人は無自覚で訴えるには弱すぎるギリギリの線」でやっていることが多い。

ギリギリなので仕方なく放置され、それが常態化している上司が多いのはよく語られる話でもある。こうしたハラスメントが横行している企業もあれば、トップが意識してハラスメントが起きない環境を目指している企業もある。

【金融・経済・投資】鈴木傾城が発行する「ダークネス・メルマガ編」はこちら(初月無料)

何でもかんでもハラスメントになる

「自分は絶対にハラスメントしない」と言っている人も、体臭がひどいことがまわりに迷惑をかけていると糾弾されて「スメル・ハラスメントをしている」とか言われることもあるようだ。女性は香水の付けすぎで迷惑をかけて、それも「スメル・ハラスメント」と呼ばれる。

何でもかんでもハラスメントになる。そういう時代である。

どんなに気をつけても、誰かが「あなたの存在は、このハラスメントに該当する」と言われることになる。ハラスメントは行う方の意識の有無に関係がない。相手が「ハラスメントを受けた」と思ったら、それがハラスメントになるのである。

「傷つけられた」「不快な思いをさせられた」「傷つけられた」と訴えられ、物的証拠があれば、それで終わりだ。

ハラスメントは「嫌がらせ行為」である。従って、嫌がらせ行為がなければないほどいい。しかし、ここに大きな問題がある。「嫌がらせを受けた」というのは、本人の主観にかかってくるものもあるからだ。

たとえば、パワハラにしても、どこまでが指導でどこまでがハラスメントなのかは本人の主観によってだいぶ違ってくる。

本当にどうしようもない仕事をしている部下に対してきつく叱っただけで「パワハラだ」と訴えられることもある。何度言っても問題が是正されない状況に渇を入れなければならないこともある。

場合によっては叱ってさえもないのに、本人の耐性が低くてパワハラされたと思われるケースすらもある。やむを得ないものでさえも「ハラスメントだ」として訴えられることもさえもあるのだ。

あるいは、「ハラスメント」という大義名分を振りかざして、ハラスメントでも何でもないものを「ハラスメントだ」と言って追い込む人間も出てくる。

「ハラスメントをした」と言ってハラスメントをするのだから「ハラスメント・ハラスメント」である。

【ここでしか読めない!】『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』のバックナンバーの購入はこちらから。

善意が生み出すディストピア

ハラスメントを糾弾するのは常識的に考えると悪いことではないのだが、それが極度(エクストリーム)に行き過ぎると、良いものが逆に人々を押さえ付け、疑心暗鬼に走らせ、閉塞感に苦しませるものになってしまう。

ここで思い出されるのが、アメリカのポリティカル・コネクトネス(通称:ポリコレ)である。

「差別をなくそう」「少数民族が不快な思いをしないように言動に気をつけよう」という善意から始まった運動は、やがて暴走するようになっていった。少しでも言い方を間違えると、社会的に袋叩きにするような狂信的なものとなり、まるで重箱の隅を突くような下らない運動へと堕していった。

たとえば、警察を「ポリスマン」と言ったら差別だと糾弾され、クリスマスに「クリスマスおめでとう」と言ったら差別だと言われるようになったのだ。

それでいて、黒人が「黒い肌に誇りを感じる」と言うと賞賛されるのだが、白人が「白い肌に誇りを感じる」と言うと「白人至上主義だ、レイシストだ、傲慢だ」と非難されるような偏向もあった。(ブラックアジア:「きれいごと」を押しつける社会に対する反撥と怒りが湧きあがっている

結局、このポリコレが行き過ぎるようになって、社会には巨大な閉塞感と反撥が生まれるようになって、こうしたものをすべてぶち壊すようなドナルド・トランプ大統領が誕生したのは記憶に新しい。

今、日本でどんどん社会を縛っているハラスメント告発運動も、それが極端(エクストリーム)に行き過ぎてしまうと、結局は「ハラスメント、ハラスメントと言っている社会をぶち壊したい」という逆の動きを台頭させてしまうことになりかねない。

何でもかんでもハラスメントにして、あれもこれもハラスメントで押さえ付け、それを強制して社会を停滞させてしまう逆のディストピア(悪夢の監視社会)が生まれることも私たちは考えなければならない時期に入ったのではないか。

ハラスメント(嫌がらせ)の防止は必要なのだ。しかし、すべての嫌なことをハラスメントにして糾弾するのは馬鹿げている。

『ハラスメントの境界線-セクハラ・パワハラに戸惑う男たち(白河 桃子)』。ハラスメントの対応を間違うと、人生が吹き飛ぶ可能性もある。そんな社会になった。

一般カテゴリの最新記事