コロナ禍によって人々がインターネットの依存を深めると、罵詈雑言、批判、誹謗中傷のような行為はますます拡大していく。このインターネットにおける「言葉の暴力」の時代は、始まったばかりであり、本当のことを言えばこれからが本番になる。今の「言葉の暴力」など可愛い方で、時代はもっと過激に暴力的になっていく。なぜなら、それがネットを介した現代コミュニケーションの宿命だからである。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
「言葉の暴力」は消えるはずもなかった
アメリカでは2016年にドナルド・トランプが大統領になってから、激しい人種間の対立、保守派とリベラルの対立、メディアと国民の対立が湧き上がるようになったのだが、中国発コロナウイルスが蔓延するようになってから、ますます激しい罵詈雑言と誹謗中傷が急激に社会の中心に躍り上がるようになった。
誰もが自宅にいて、孤立し、閉塞感を抱え、先行きの不安や恐怖でストレスを感じている。だからこそ全世界で他人への攻撃や誹謗中傷が先鋭化しており、敵対者が互いに牙を剥いて相手を叩きのめそうとするようになっている。
相手を激しく攻撃するというのは、もはやインターネットのありふれたコミュニケーションとなったのである。とっくの前から、インターネットは罵詈雑言、批判、誹謗中傷、脅迫、恫喝、粘着と言葉の暴力の吹き荒れる無法地帯と化している。
もともとインターネットは匿名で誰もが何かを書き込めるシステムだった。そのため、誕生した当初から過激な言動が飛び交うのは普通だったのだ。
その反省から、やがてはフェイスブックのような実名主義のSNSが生まれて、言葉の暴力の浄化を試みる動きも起きて、当初はこれが一定の自制効果を生み出すことになった。
しかし人間は暴力を内包している。そのため、実名で他人を誹謗中傷する人間も大量に出てくるわけで、インターネットの「言葉の暴力」は消えるはずもなかったのだ。どれだけ規制しても無駄だ。今のところは状況はどんどん悪化している。
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批判者は、執拗にまとわりついて離れない
これからどうなるのか。言うまでもなく「言葉の暴力」はもっと加速していく。インターネットにアクセスする人間はすべて言葉の暴力に巻き込まれる。中国発コロナウイルスによって、人々のネット依存はより強くなっている。そのため、言葉の暴力はより激しくなっていく。
誰ひとりとして例外ではない。これを読んでいるあなたも、その存在、出身、国籍、家族、生き方、考え方、容姿、発言、信念、政治的信条、行動、表現物を誹謗中傷されるようになる。
しかし、それはあなたが悪いわけではない。言葉の暴力が渦巻くのがインターネットであり、そのような世の中になっているということだ。
あなたが何をどのように発言しようがしまいが、そんなことは関係ない。生きている限り、誰かが誰かを批判する言葉をインターネットに書き込み、そしてそれが拡散し、シェアされる。
もちろん賞賛もある。しかし賞賛がどれだけあっても、すべてが賞賛一色で染まるわけではない。必ず一定数の批判者が存在し、こうした批判者は執拗にまとわりつく。食いついて離れない。
どんな人格者でも、どんな人気者でも、どんな優しい人も、批判と中傷と暴言から逃れることは「絶対に」できない。逆に、人格者であれば人格を、人気者であれば人気を、優しければその優しさを攻撃されるのである。
優れた仕事をするアーティストも例外ではない。アーティストの中には、自分は批判されても作品は批判されたくないという人も多い。しかし、インターネットの世界では、どんな素晴らしい作品も誹謗中傷の恰好の的だ。
「インターネットこそ暴力拡散装置ではないか」という人もいるが、今ごろ気付いても遅い。インターネットというよりも、「つながり」そのものが摩擦と衝突と暴力を生み出す。
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対立や衝突や誹謗中傷は、受けて当たり前
人間はそれぞれ個性を持っており、好き嫌いを持っている。それは、しばしば他人と対立を引き起こす。「誰とも仲良く」「人類みな兄弟」など、幼稚園か遊園地だけの世界である。そもそも、兄弟であっても、骨肉の争いをするわけで、対立を避けるというのは現実世界でも不可能だ。
ましてインターネットともなると、あらゆる立場の人がそこに集まるわけだから現実以上の対立が起きて当然である。対立や衝突や誹謗中傷は「受けて当たり前のもの」になる。
重要なことだが、これは当人の努力で状況が変わるものではないことだ。誰が何をどうやっても、批判や中傷を避けることは不可能だ。
むしろ、反応すればするほど、批判や中傷は逆に燃え広がっていくことになる。消そうとすればするほど、それは巨大な炎になって手に負えなくなる。これが、いわゆる「炎上」という現象だ。
このような激しい言葉の暴力が生まれると、世界中が敵になったかのような強力な圧力になっていく。
何をやっても公開リンチのようになって強く批判される。そのため、人によっては精神的な限界にまで追い込まれる人もいる。ショックのあまり鬱病になる人すらもいる。
かつては公然と批判される人間というのは、政治家か芸能人と相場が決まっていた。しかし今は、そうではない。インターネットの世界では、すべての人が標的となる。
インターネットとSNSは時代を変えた。これによって誰もが注目を得られる時代となった。しかしその結果として、誰もが激しい批判と中傷にさらされる時代となっていった。
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「つながり」の暴力社会に巻き込まれていく
罵詈雑言、批判、誹謗中傷のような行為は、収まるどころかますます拡大していく。しかし、このインターネットにおける「言葉の暴力」の時代は、始まったばかりであり、本当のことを言えばこれからが本番になる。
今の「言葉の暴力」など可愛い方で、時代はもっと過激に暴力的になっていく。なぜなら、それがネットを介した現代コミュニケーションの宿命だからである。
今の時代は国境を越えて、言葉を超えて、距離を超えて、世界中のほとんどの人間が広範囲に「つながり」、結びついていく動きだ。インターネットによって広範囲につながればつながるほど自分の敵対者ともつながり、会わなければ起きなかった対立が起きるのである。
インターネットでは、ネットワーク社会であるがゆえに、「つながり」という言葉が多用される。
多くの人々はまだ「つながり」の表面しか見えていないので、その言葉に良いイメージを持っている。しかし、「つながり」には、おどろおどろしい裏面も隠れている。
対立者とつながり、批判者とつながり、犯罪者とつながり、敵対者とつながるのである。つながったら、罵詈雑言、批判、誹謗中傷、脅迫、恫喝、粘着という軋轢と対立しか生み出さないものが自分と直通になるのだ。
「言葉の暴力」の時代がこれから本番になるというのは、コロナ禍を迎えた現代社会はますますインターネットに取り込まれていき、「つながり」がさらに濃密に強くなっていくからだ。
「つながり」のダークサイドが見えて、はっと夢から醒めてそこから逃れようと思っても、もう逃れられない。社会全体に絡み取られて抜け出せないのである。
誰もが必然的にこの暴力に「つながり」を持ち、巻き込まれていくことになる。今のネットワーク社会の置かれている状況を、客観的に確認してみればいい。私たちは今、暴力とつながっている。
現代は豊かな感受性は必要とされていない社会だ。もしかしたら、今までも必要とされていなかったのだが、それが浮き彫りになっただけなのかもしれない。この現実を客観的に認識した上で、暴力地帯としてのインターネット社会に自分を適応させるべきだ。