日本文化は「価値」を重視する社会であるというのは、数々の製品が緻密で精密で高品質であることからも分かるはずだ。しかし、今の日本人は日本文化の神髄から離れ、極度なまでにグローバル化の文化に毒された結果、「価格」しか興味を持たない人間が増えた。(鈴木傾城)
悪貨が良貨を駆逐する
栃木県宇都宮市のある男性が、アマゾンで中国メーカーが製造した充電式のモバイルバッテリーを購入したら、それが発火して自宅が火事になった。中国メーカーは誠実な対応をしてくれなかった。
この男性は、アマゾンが商品に合理的な審査基準を設けて審査すべき義務があるのに果たしていないとしてアマゾンを提訴した。
他にもアマゾンには大量の中国製が紛れ込んでおり、「すぐに壊れた」「写真と違って粗悪品だった」「機能しなかった」「爆発した」「燃え出した」と深刻な問題が消費生活センターに寄せられている。
事件や苦情にならなくても、中国製の粗悪品をつかまされて、あまりの杜撰な品質に呆れ果てた人はかなりいるはずだ。中には、あまりにも品質が悪すぎてまったく使わないままゴミ箱に捨てたという人すらもいる。
ネットショップでは写真やレビューで判断するしかないのだが、写真はパネマジでアテにならない上にレビューも改竄されている。粗悪品を高評価するレビューもあるのだが、高評価を付ける仕事をしている業者もいるのである。何も信用できない。
中国は偽物・安物・粗悪品が横行する大国で、食品から工業製品までそうしたもので覆われているのは誰もが知っている。
目先の金儲けのために、客の安全や安心をないがしろにして「売り逃げ」する。そして、そうやって粗悪品を売りつけて儲けては「騙される方が悪い」とうそぶいて哄笑する。そういう体質がある。
中国人が自国内でそれをやっているのであれば、私たち日本人には何の関係もない。それは「彼ら」の問題である。
しかし、最近はそうではなくなった。日本に莫大な中国人が流入するようになって、今のアマゾンや楽天やヤフーショッピングのようなインターネット・サイトには中国人が中国製だと隠して粗悪品を大量に売りさばく時代になっているからだ。
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極端に安いモノにはワナがある
こうした製品は概して異様な値段で売っていたりする。そのため、粗悪品ほどよく売れて「悪貨が良貨を駆逐する」ような状況と化す。
しばらく売っていると悪評判が立つ。そうすると、ネットショップを畳んでまた違う名前で同じことをする。最近は、日本にやってきた中国人留学生が本国から粗悪品を持ってきて、あこぎなビジネスをやっている。
ネットショップで日本人に粗悪品を売りつけるビジネスは、日本社会の貧困拡大もあって完全に定着してしまった。
安い製品は「使い捨て」の感覚で人々は買う。すぐに壊れて捨てる覚悟で買うのだから、それがどんなに粗悪品でもいいではないかと考える人もいる。
しかし、そうした製品ばかりを人々が買うようになると、しっかりした品質で作られた安売りできない製品は徐々に売り上げを維持できなくなり、コスト削減を極限まで進めるしかなくなる。
通常、企業のコストの中で最もウエイトを占めているのは人件費なので、企業は人件費を削るしかない。
つまり、「使い捨て」の安物が広がれば広がるほど、私たち私たち自身もまた使い捨てされ、安い賃金に落とされるという流れになる。
使い捨て、安物の製品・サービスと言えば、ひとことで言えば「粗悪品」ということになるが、この粗悪品に関われば関わるほど、私たちの人生も同時に粗悪になるということだ。
人々がモノをどのように扱うかで人の扱いも決まるのだ。
すでに、安物が市場を席巻したことによって、まともな品質でまともな製品を作っていた日本製の企業が成り立たなくなっている。コロナでもダメージを受けた。まともな日本のメーカーは弱体化せざるを得ない。だから、非正規雇用、低賃金、リストラのような流れが続くのだ。
粗悪品しか売れない時代になると、自分たちの生活・人生すらも粗悪なものになっていくというのは、そういう意味である。極端に安いモノにはワナがある。巡り巡って、そのツケは自分に返ってくる。
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価格と価値のどちらが大切なのか?
通常、私たちがよく把握しなければならないのは「価値」の方だ。価値がないものはいくら安くても価値はない。
たとえば、命に関わる切実な病気にかかっていて、まったく効かないが安い薬と必ず効くが高い薬があったら、誰もが高くても必ず効く薬を選ぶ。なぜなら、必ず効く薬は「価値」があるからである。
価値と価格のどちらが大切なのかと言われれば、誰もが価値の方が大切だというのは分かる。それは現代社会に生きる私たちの常識だ。
価値(バリュー)
価格(プライス)
この違いを意識するのは重要だ。価値(バリュー)と価格(プライス)はベクトルが真逆であるということに気づいている人は少ない。価値を追求する社会は良質な社会を生み出す。逆に価格を追求する社会は社会の劣化を生み出す。
日本文化は「価値」を重視する社会であるというのは、数々の製品が緻密で精密で高品質であることからも分かるはずだ。日本の良さ、日本のすごさ、日本の文化の神髄は「価値の追求」から来ている。それは日本精神とも言えるかもしれない。
しかし、今の日本人は日本文化の神髄から離れた。極度なまでにグローバル化の文化に毒された結果、「価格」しか興味を持たない人間が増えた。
価格しか興味を持たないというのは、最終的に「安ければ安いほどいい」という発想に染まる。
グローバル化によって日本社会は劣化したとはよく言われるが、何がどう劣化したのか、その「答え」を頭に叩き込むべきだ。日本人は「価値」から「価格」を重視するようになった。それが日本社会の劣化の「答え」なのである。
安ければ何でも良いというわけではない。そのうち、本当に良い製品を作っている会社、価値を重視するメーカーが苦境に落ちて、本当の意味で大切にしなければならない会社が消えてしまっていることもあり得る。
後に残るのは粗悪品を作る無責任な会社と、粗悪品を「売り逃げ」するあこぎな商売人ばかりとなるかもしれない。安いからと言って粗悪品しか買わない日本人は、それを分かっているのだろうか?
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結局のところ、コスト削減には限度がある
しかし、粗悪品が社会に出回ると害になるというのは、少しずつ日本人も理解できるようになってきている。もちろん、私たちの収入は限りがあるのだから、誰でも安い値段でモノを手に入れたいという気持ちはある。
だから安いモノも、それなりに売れる。しかし限度がある。
全日本人が極端なまでに安い製品しか購入しなくなると、そのツケは最後に日本社会の劣化となって跳ね返ってくる。すぐに壊れる粗悪品を持たされ、賃金も下げられ、生活が荒廃する。安物の粗悪品が社会を覆い尽くすからだ。
材質をごまかし、強度をごまかし、含有量をごまかし、部品を減らし、いろいろなところを少しずつ手を抜いた結果、最終的には愚にも付かない品質となるのが粗悪品だ。
コスト削減には限度がある。その限度を超えるからモノは粗悪になる。粗悪なモノは長持ちしないし、危険だし、時には必要な性能すらも持ち合わせていない。さらに、モノやサービスを激安で買うことばかりを考えていると、自分の人生も激安で売り飛ばさなければならなくなる。
もう粗悪品ばかりに囲まれるライフスタイルは辞めた方がいい。粗悪品は、3つのものを劣化させていく。
- 高品質な製品が劣化していく(価格を下げるために)。
- 社会が劣化していく(粗悪品が溢れるために)。
- 自分の人生が劣化していく(賃金も下げられるために)。
しかし、だからと言って高級品を買えと言っているわけではない。見栄の結果でしかないような無駄に高い高級品を買い込むのは馬鹿げている。
粗悪品を買わないというのは高級品を買うという意味ではなく、「適正なもの」を選ぶという意味だ。きちんとした常識があれば、適正なものがどれなのか判断できるはずだ。
呆れるほど安い粗悪品に関わる必要はないし、虚栄心だけのために作られた高額商品に関わる必要もない。ほどほどの値段で、きちんとした製品やサービスを利用するというのが、世の中にとっても、自分にとっても一番いい。
何にしても、アマゾンで出回っている中国製の粗悪品を買うと社会が荒廃する。ようやく、多くの日本人がそれに気付くようになっている。そうした製品を日本人は積極的に排除しなければならないのである。