
グローバル化社会というのは、グローバルで自分を嫌う人を生み出す社会である。情報化社会というのは、自分がいかに嫌われているのかを知る社会ということだ。私たちは敵対者をグローバルに見つけられる社会に生きている。自分をこの中で生き残る体質にしていく努力は必須になった。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
どこの国でも必ず社会で公然・隠然たる差別が存在する
2001年のアメリカで起きた同時多発テロ事件はイスラム過激派が起こした事件だったので、以後はアメリカでイスラム教徒への差別と分断が多発した。そして、2021年には中国で新型コロナウイルスが広がったので、以後はアメリカでアジア人差別と分断が多発した。
アメリカのリベラルは差別のない社会を目指しているのだが、それを目指しているというのは、要するに「現在も差別がある社会である」ことを示唆している。
人種差別、移民差別、宗教差別、少数民族差別、LGBTQ差別、貧困者差別……。アメリカは言ってみれば「差別大国」である。アメリカだけだろうか。いや、ヨーロッパでもまったく同じだ。どこの国でも必ず社会で公然・隠然たる差別が存在する。誰もが誰かを嫌っている。
そうした状況を見たら気づくこともあるはずだ。なるべく嫌われないようにして生きる生き方は失敗するということだ。なぜなら、人間には人それぞれ意見や立場や主張があり、それは間違いなく人と軋轢を生み出すからだ。
どんなに好かれる性格の人であっても、人に好かれているということで「八方美人だ」「人に媚びている」「良い子ぶっている」と決めつけられて嫌われる。
どんな真っ当な意見を言っても、どんな真っ当な生き方をしても、それに対して「気に入らない」「面白味がない」と真逆の反対の意見や感情を持つ人は絶対に出てくる。
「それならば」と、何も言わないように注意して、人との衝突をできる限り避けても無駄だ。何も主張しなくても、いかなる敵対行為をしなくても、「何も言わない」「主張しない」というだけで嫌われる。
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「友達とつながる」だけでなく「敵対者ともつながる」
こうした差別と分断の構図は今までもあった。人間は、いつの時代でも「自分たちと違う者」と対立していたのだ。しかし、最近はこうした差別と分断は目に見えてひどくなってきているように思えるはずだ。
これは気のせいではない。グローバル化とインターネットとSNSが世界を結びつけ、人々を結びつけたことによって対立と差別と分断が悪化する原因となった。
グローバル化もそれほど進んでおらず、インターネットもSNSもなかった時代は、距離的にも物理的にも「自分たちと違う者」とは分離されていた上に、交流もなかったので相手の本音を知ることもなかった。
相手が自分をどう思っているのかも、どんなことを言っているのかも、何も知らなかった。だから、逆にやり過ごせていた。
ところが企業がグローバルを促進し、国家が多文化共生と言い出し、ヒト・モノ・カネが全世界で交わるようになっていき、インターネット化によって世界中の情報にアクセスできるようになり、SNSによって個人と個人がつながった。
「人とつながる」というのは、良いことばかりではない。なぜなら「友達とつながる」だけでなく、「敵対者ともつながる」ということを意味しているからだ。
つながった結果、今まで知ることのなかった自分に対する憎しみや反対意見や拒絶を、人々はワールドワイドに、リアルに、生々しく突きつけられるようになったのである。
インターネットとSNSで簡単に他人とつながるようになった結果、人は突如としてこの世の中に自分に対するヘイトが満ち溢れていることに気が付いたのだ。
差別と分断は昔からあった。これが顕在化したのは、まさにグローバル化とインターネットとSNSによって、互いに会わない方がよい人間が出会うようになり、知らなくてもいいことを知るようになったからだ。
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有名無名に関わらず、すべての人が敵を作ることになる
インターネットがなかった時代、人は自分の身のまわりのほんの小さな世界で生きていた。それほど大量の情報が入ってこないので、生きている世界は閉ざされた空間であったとも言える。
ところが今はインターネットがあってSNSがある。自分が何気なくつぶやいたひとことは場合によっては数十万人、数百万人が目にすることになる。自分のひとことが、場合によっては世界中に拡散されていく。
その結果、何気ない「ひとこと」が、まったく違う世界で生きてきた人間の目にも触れるようになり、それらの人たちの感情を害するようになると、発言は激しく炎上するようになっていく。
良いことでも悪いことでも、加速度的に拡散していくのが情報化社会だ。どちらかと言えば、悪いことの方が拡散して炎上しやすい傾向にある。そのため、有名無名に関わらず、すべての人が敵を作ることになる。
そして、激しい勢いで自分を嫌う人が膨れ上がっていくのを目撃することになる。
グローバル化社会というのは、グローバルで自分を嫌う人を生み出す社会である。情報化社会というのは、自分がいかに嫌われているのかを知る社会ということだ。私たちは敵対者をグローバルに見つけられる社会に生きているのである。
情報は国境さえも越える。たとえば日本人の主張は日本を敵視する民族にも読まれていて、逆に彼らの敵対的な主張も日本人も読めるようになる。そうなると、互いに罵詈雑言の応酬が始まることになる。
現代は、インターネットとSNSによって強制的に対立者とつながっていくので、民族間のセンシティブな対立や反目があれば、それが拡大再生産されて増幅されていくのである。
対立は避けることはできない。グローバル化とインターネットとSNSが定着した現代社会においては、誰かに嫌われ、憎まれ、攻撃されることを前提に生きなければならないということになる。
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自分をヘイトの中で生き残る体質にしていく努力は必須
グローバル化すればするほど人は異質と混じり合うようになり、インターネットとSNSが普及するほど差別と憎悪が飛び交う荒んだ世界となる。多文化共生は、理想主義者が唱えているただの理想論で、現実は多文化衝突が生まれる。
グローバル化や多文化共生の強制はまだ終わらない。終わるどころか、これからも続いていく。そのため、社会はより衝突が激しくなって荒んでいく。互いのヘイトが飛び交う中では相互理解や共生共存は絵空事でしかない。
こうしたヘイトにまみれた世界では、自分自身に対する批判や中傷や罵詈雑言を浴びても「何とも思わない」か、もしくはうまく対処できる人間だけが生き残る。
感受性の強い人や、自分に敵意や中傷を向けられると夜も眠れなくなるような人は、今から生き方や考え方を変えなければならない。これからは、繊細な感受性のままではとても生き残れない。
「渦巻く罵詈雑言の中で生き残る体質」に自分を変えていかなければならないのだ。
今まで日本人はヘイトを自分自身向けられることに慣れておらず、何とか相手に理解してもらおうと謝罪したり、相手の要求を飲んだり、いろいろ嫌われないように無駄な努力をしてきた。
しかし、ヘイトまみれの相手に対して好かれようと思っても、それはどう考えても無駄な努力だし意味がない。そんなことをしていたら「弱い相手」と見なされて、よけいに踏み込んできて相手をつけ上がらせることになる。
憎まれている上に価値感を共有していないのであれば、相手との相互理解や共生共存は絶対に得られない。より対立していき、禍根を残すだけだ。
もう社会は明確に「対立と衝突が避けられない時代」に入っているのだから、自分をヘイトの中で生き残る体質にしていく努力は必須のものだ。情報化時代というのは、誰かが自分をヘイトしているのを見つける時代なのだから……。
